研究日誌



 二〇一一年一月十五日(土)

 椎名高志「絶対可憐チルドレン」(小学館)における、フェザーさんの正体予想を書いてみよう。多分外れているが。
 ちなみに根拠はないよ。

 まず、人格はキャロラインからキャリーが生まれたように、未来の薫から生まれた別人格のようなもの。
 エスパーの能力を無限に注ぎ込める巨大な器であり、フェザーの多種に渡る能力は未来のエスパーの大半が力を貸している。
 破壊の女王となった薫は既に皆本に自分の命を捧げる事でしか運命が完結しないと察知し、また己のいる未来を良しとしなかった為に歴史の改変を決める。レアメタルが時間を渡れる方法を掴んだ彼女はそこに己の別人格を作り出し、過去へ送り込む事にする。
 フェザーが過去へ送り込まれる最後のトリガーは薫自身の死であり、つまり皆本が薫を撃つ最悪の未来に到達する限り、フェザーの介入は何度でも行われる。
 そこに至るまでで薫自身の身に何かが起これば話は別だろうが、多分皆本以外の人間がそうした場合はかつて兵部が撃たれた時と同じ結果を招くと思われるので、それを試そうとする人はいないだろう。
 本来の歴史では悠理が渡したイヤリングで薫の身に異変が起きていたが、フェザーが入っていた上に介入を開始したので未来が少し変わった。

 それからJ・K・ローリング/松岡佑子「ハリー・ポッターと死の秘宝」(静山社)をきちんと読んだ。前読んだ時は上巻を読んでから下巻を読むまでの間を空けてしまった上に、下巻は適当に読んでしまったのである。反省した。

・5巻終わりの時点で、ハリーと結ばれるのはルーナだと思っていた。最後までハリーの心を助け続けたのはルーナだと思えたし、どうしてジニーなのか分からなかった。ジニーも良い子なので不満はないが、ハリーの事が好きな良い子という以外の良さがない印象が拭えない。
・結局、どうしてリリーがジェームズを選んだのかが全く分からなかった。今回の下巻のスネイプのリリーへの献身振りを知ったら余計にだ。ジェームズのよい所はほとんど描かれなかったから、リリーをスネイプから引き離す為だけの存在としか思えなかった。
・ネビルが格好よかった。もうこのシリーズ、裏の題を「ネビルの成長物語」にしよう。まさか最後の分霊箱にしてヴォルデモートの分身の如きナギニを倒すという大金星を遂げるのが彼になるとは誰が予想したであろうか。ナギニはハリーが倒すと思ってました。
 スネイプがネビルを散々授業でいびっていたのは、かつての自分を重ね合わせていたのかもしれない、と思っている。
 そうして、ネビルはもしもかつてのスネイプがグリフィンドールに入って正義と勇気を示せていたら、という姿かもしれない。勿論両者は全く別個の存在だが。
・ネビルがナギニを倒せるだけの能力があるのはこれまでいくつか伏線があったので納得出来たが、これまで優れた魔女であるとも、戦いの修練の描写も一つもなかったモリーがベラトリックスを倒したのは納得出来ない。リリーみたいな場合はともかく、「母は強し」だけで事実上悪役ではヴォルデモートに次ぐ強大な魔女が倒されてもなあ。ルシウスと張り合っていたアーサーなら納得したが。あれはきっとベラトリックスの偽者で、本物はヴィルデモードの遺骸と「蘇りの石」を持ち出してどこかへ逃げ延びてる事にしよう(おいおい)。
・ペティグリューの死に至る過程も何だか適当に流されたように思えた。ハリーが彼をかつて救ったのがいずれハリーを助けるとダンブルドアは言ったが、ここまで花を持たせない、ハリーに利己的な結果の話なのはどうかと思う。
 せめて銀の手からハリーを庇って重傷を負い、「これでいい……お前の父達を……こんな俺を友と呼んでくれた人達を裏切った人間には似合いの最期だ……叶う事なら……また……友と……呼んで……」ぐらいの台詞は言わせてあげても良かったのに。ペティグリューの死に様としては格好良過ぎる上に言えない状況だったけど(しかも長い)。
・ドラコが改心してヴォルデモートを裏切るかと思ったが、何となく流れるままに行動しただけ、という感じになっていたのが残念だった。ナルシッサもただ子供が可愛いというだけで、本質は変わっていない気がする。彼女が行った虚偽の申告の役割はドラコが担うべきだったような。ルシウスが死ななかったのはドラコを復讐鬼にさせてハッピーエンドに禍根を残したくない為だけの気がしてきた。
・ダンブルドアとグリンデルバルドの関係も燃えます(誤字ではない)が、アバーフォースとアリアナの関係の方がときめくのは何故でしょう。
・というかスネイプはハーマイオニーとくっついたら良かったのに。ロンで全く問題ないが。


 二〇一〇年十一月二十四日(水)

 劇場版「ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー…ですか?」を見た。
 まさか数か月前に見始めた時は、劇場版を観に行くまではまるとは思わなかった。

 まずいつき、秋に咲き誇る花だって世の中にはあるのですよ。

 話は変身場面や必殺技の場面等のお約束やプリキュア四人のそれぞれの見せ場は押さえる一方で、一つの物語としての根幹をしっかりと作りつつも、無駄を極力排除する事で、一時間十分という短い尺とは到底思えない位、大変見応えのあるものになっていた。
 私はTVシリーズ本編をいつきさんの話が一段落して、ゆりさんの話に入ろうかという頃に見始めたのだが、それでもこの映画を観るのには全く問題なかった。とはいえ、テレビを見ていたらそれぞれの台詞を口にするに至った経緯が分かってお得感はあった。
 ここぞとばかりに皆が様々な服を着ていたのも目に楽しい。そしてプリキュアの服の良いところは、モデルであるももさんの着る服すら、アニメを見た子供が頑張ったら作れそうな服になっているところだと思う。

 そして今回のゲスト、オリヴィエ君とサラマンダー男爵である。
 オリヴィエ君の声は大谷育江さん、サラマンダー男爵は藤原啓治さんだ。
 大谷育江さん演じるオリヴィエ君は本来ならつぼみ達に可愛がられて嫉妬しなければならないのだが、声が大谷さんなので仕方がないのである。
 自分の現状に絶望していた状況から、男爵に凛と立ち向かうに至る心の動きを演じ切られていた。後述するが、藤原さんの好演と対決して全く食われてなかったのは流石だと思う。
 そしてサラマンダー男爵だが、声が本当に良くて、まさに耳が幸せであった。
 解放された時にオリヴィエ君の「パパとママが欲しい」という純粋な願いにつけ込むかと思いきや、「俺もいねえなあ」とすっとぼけた調子で返したに始まって、砂漠の使徒としてはかなり意外な方向へと進んでいく。
 そんな男爵の心の動きを丁寧に演じられているように思えた。今後「藤原さんの素晴らしい演技を聞きたい」という方が現れたらこの作品をお勧めする事にしよう(勉強中の身はそんなに出演作を聞いていないという事情もあるけれど)。
 彼の結末は、「砂漠の使徒にも心はある」という、本編の結末に繋がる伏線にもなっている筈である。
 しかしサラマンダー男爵より男前がいた。
 コッペ様ー!
 皆の危機に駆けつけてすかさず救って倒れるその姿を目にして、惚れない者はいないだろう。「大人とはかくあるものだ」と子供達もその雄姿を目に焼きつけた筈である。
 しかもEDまでまさかのプリキュアと共演でその男前振りを披露するコッペ様であった。どこまでおいしい所をかっさらうんだ。コッペ様ならむしろ私が養ってでも一緒に暮らしたい。あ、それって薫子お祖母さんか。

 ところでオーケストラお姉さん(仮名)の謎である。
 私はこのお姉さん、こころの大樹が人に変身した時の姿か、初代プリキュアだと思っていたが、サラマンダー男爵の過去回想に出てきた初代プリキュア、プリキュア・アンジェは全く違う姿だったので、後者は無しになったので、前者に絞る事になった。正解を見届けたい。


 二〇一〇年五月三十一日(月)

 劇場版「いばらの王」を観たのだが、原作ファンとしては、

 ゼウスがカットは時間の都合上仕方ないとして、ならせめてヴェガと設定をフュージョンさせて盛り上げろやとか、
 アリスとカスミの邂逅場面が好きだったのにそこ丸ごとカットかよとか、
 原作だと死ななかったロンさんとマルコさんをなんで殺すんだよとか、
 原作で一番泣いたキャサリンさんがグリフォンに変身した下り無しかよ! とか、
 何よりこの物語でもっとも盛り上がった、最終巻の展開がほぼ丸々カットというのが辛い。三途の川のキャサリン達のマルコへの語りかけだけでなく、私が一番見たかった「カスミ!」「マルコさーん!」がなかったのにはもう私は何を観に来たのかしらと一瞬思った。

 私がマルコさんが好きだったのは一見体育会系のようでいて、実は頭脳畑の人でゼウスへの劣等感と執着の固まりだった事と、最後に化け物たちの前には張子の虎だった事を露呈させて滅びかけた所を、キャサリン達の声を聞き、アリスの思いを汲んでカスミを守る(ティム君とロンさんもか)強者として蘇る辺りだったので、その辺が丸々無かったのには糸色先生ではないが本気で絶望した。

 地味に実はこの話の一番の萌えキャラかもしれないロンさんの萌え所が無かったのも悲しい。
 ピンク髪のロンさんが見たかった。

 あ、議員さんに名前が付いた所だけは嬉しいです。


 二〇一〇年五月十七日(月)

 NHKBS2で放送中の「熱中スタジアム」、五月十四日放送分が特撮ヒーローソング特集(前編)だったのでその感想を書いたら当然長くなった。なのでこちらに置こう。

 「熱中スタジアム」はオープニングテーマ目当てで(……)きちんと毎回見ているが、毎回、テーマに沿ってどの道に詳しい方やプロの方のお話を交えつつ、全くその分野に詳しくない人間にも分かり易く紹介しているという番組だ。ただ話を聞いているという訳ではなく、集めていらっしゃる物品を実際にスタジオに持って来られたり、貴重な映像やロケの映像などが挟まれるので耳だけでなく目も退屈はしない。
 今回の「特撮ヒーローソング特集」はようやく私の多少知っている分野の特集なので、これまでほとんど知らなかった分野の特集とは違った角度で番組を見られるのではないかと楽しみにしていたのだが、いやすいません本当の楽しみはゲストですが。

 いつもと会場もお客さんの人数も違う。
 もうちょっと狭いスタジオで、お客さんも五十人もいないような方々をひな壇のような席に座って、それぞれ熱くお話を語られる、という仕組みだが、今回は観覧申し込みの数がすさまじい数だったそうなのでいつもと違うのは仕方ないのかもしれない。
 というより今回のスタジオはもしやいつかの「アニソン夜話」の時と同じか。

 さて。

 初回に見て思ったのだが、見所が多過ぎて、各ゲストの持ち時間も少ない印象がした。  ざっと思い浮かぶだけでも、冬木透さんのウルトラマンコンサート、「ウルトラマンセブンのうた」曲分析、真夏竜さんの面白過ぎる収録裏話、水木一郎アニキさん(と書くと何か違う)の歌、石原慎一さんの歌、藤林聖子さんの仮面ライダーの歌詞の話、喜屋武ちあきさんやキムラケイサクさんも面白そうな事をもっと語っていそうなのにとにかく時間が足りない。  本来ならそれぞれもっとじっくり聞くべきじゃないか、というものを立て続けに見せられて、情報が次々と舞い込むのに本来なら感動すべきものを、戸惑ってしまった。
 「アニソン夜話」の時はそんな事はなかったのに、私には見せ場が多かったのだろうか。一つ一つはとにかく良いだけに勿体ないという思いばかりにとらわれた。
 後、観客の笑い声を観客を写しつつ繰り返す、という見せ方が何度かあったが、ちょっとこれも過剰に思えた。

 そういえば石原慎一さんの映像を拝見するのは初めてなのだった。
 …私はどこかでベストソングとして石原さんの歌を挙げていた筈…いや感慨深かったです。背がすらっとしていてとにかく格好よかった。

 まあ、最大の目的は「ウルトラマンのうた」曲分析だった訳だが。
 乱暴を承知でいうと、曲分析だけで一時間使って下さっても良かったのに。


一冊目の日誌を見る
二冊目の日誌を見る
三冊目の日誌を見る
四冊目の日誌を見る
五冊目の日誌を見る
六冊目の日誌を見る
七冊目の日誌を見る
八冊目の日誌を見る
九冊目の日誌を見る
研究室入り口へ

inserted by FC2 system