二〇〇一年十一月九日(金)
今から出産に挑むという夢を見た。
気がついたら海辺の病院の薄暗い廊下を歩いていた。
ちゃんと移動してそこへ辿りついた記憶はある。当たり前だが陣痛はない。しかし「今から産むのだ」という確固たる思いがある。思っているからには産まねばならない。
が、しばらく経てば私も「はて、いつ妊娠しただろうか」という思いが過ぎった。
とりあえず腹部を見ることを思いつく。確かに(いつもの己の腹よりは)膨らんではいるが、出産前の妊婦としてはやや足りない気がする。でもまあ、今から産まれるのならちゃんと産まれてくれるのだろう、と思う事にした。
しかし産めるのだろうか、と不安にかられる。出産に耐えられるようあらかじめしておくべき準備を、ものすごく怠っている気がした。特に身体は鈍りっぱなしである。せめて妊娠前、腹筋を己に義務付けておくべきだった。
そして私は両親に付き添われて目的の部屋に向かいながら、はたと気付くのである。
子供の父親って、誰だ?
しかし、その場にその男がいない事に誰も不審を抱かない。会話をしていく内に、男の外見が頭に思い浮かぶが、その男は私が今まで見たこともない男である。
最後は、運ばれる己の腕に医者が点滴のようなものを刺すのだが、「妊婦に点滴って良かっただろうか?」と思ったところで、以下次号、とばかりに目が覚めた。
さて、この夢で最も間違っているのは何でしょう。
1 出産に挑むならば不審な事はちゃんと調べましょう
2 出産の準備は余念なく
3 最後近くまで相手の男への疑惑が思いつかなかったのはどういうことだ
4 夢ぐらいもう少し気楽に見よう
でも、産まれる筈だった子供、どうなったんだろう。
夢の中とはいえ、折角だからちゃんと命として出現させて、夢が覚めるまででもこの世を見せてあげたかった気がする。(・・・私が見せる世の中って酷く偏っていそうだ)。
さて、私信。
お年が近いのですか。では次の会合では是非、仮面を被っていただいて(以下略)
二〇〇一年十一月一日(木)
昨日、坂井久仁江「So long・・・」(Queen’s Comics、集英社)を購入した。短編集である。
420円がこんなに高い価値に思えたのは久し振りだ。いや、笑って切なくなってしみじみと感傷に浸れる。
普段、架空世界の登場人物が気に入ったとしても「まあ、渋い」「おや、酷い」「あら、えげつない」と思う私だが、この方の描く話の男性については、
「・・・婿に来てほしい」
と思ってしまう。今回は特に「身辺整理」の加藤さんだ。
ま、一番素敵だったのはミシェルだったな。マッスルマグ(仮名)を持っている人、大切にしてください。
私信。
いや、あちらの選ぶ権利というものがありますから。
私にはもったいない話です。
それに私、博士は天馬さんだけと決めているんです。
二〇〇一年十月三十日(火)
そういえばアニメ版「ヒカルの碁」の何人分かの手の場面だが、あまりの衝撃に私の頭の中で即座に記憶の改竄が行われていたのを後に知った。
何ということ。
ジーン・ポーター・著、村岡花子・訳「リンバストロの乙女」(角川書店)を読んで、「ウン十年前に、こんな根性のあるお嬢さんが主人公の小説があったとは!」と感動する。
根性があってもちゃんとお嬢さんなのが良い。まだ序盤しか読んでいないので最後まで読むことにする。
二〇〇一年十月十日(水)
「八崎(仮名)さん、ちょっと来てください」
ま、待ってください、私はまだ何もしていませんよ!?(・・・まだ?)
と思ったら、単にちょっとした頼まれごとをされただけだった。
こんな調子で大丈夫なんだろうか、訓練。
さて、今日から「ヒカルの碁」アニメ版が始まった訳だが。
オープニングで、何人分かの、碁を打つ手のアップが映る場面があった。
・・・一番最初に出た手を見た瞬間、「塔矢お父さまか!?」と反応する。しかも浮かれる。が後で本当に塔矢お父さまか分からない事に気付く。情けなや。
その後お顔のアップがあったが、恐い、恐いぞお父さま。
他の面々もオープニングとエンディングでちらっと出てきて、しかもアキラの中学の面々が出てきたので懐かしさに浸る。
なお、先ほど述べた一連の手のアップで、二番目に出てきた白いスーツの袖の人が緒方さん以外の方だったら詐欺だと思う。
二〇〇一年十月六日(土)
バイトを辞めてしばしの間のんびりしていたのだが(・・・パラサイトシングル・・・)、ようやく変化があった。
来週から職業訓練を受けるため、生徒に逆戻りすることになったのだ。しかも時間はきっちりと決まっているので大学生を通り越して高校生に戻った気分である。
大学の頃と同じなのは通学時間だったりする。逆だったら良かったのに、と思ってしまう自分が情けない。
ちなみに、どうして試験、特に面接を通過できたのか、未だに分からない。
そういえば先日の「うたばん」の二時間放送で、モーニング娘。が出ていたのを見る。
考えてみれば、番組に出ているのをちゃんと見たのはこれが二度目だ(それでどうやって顔と名前を覚えてきたんだろう・・・)。で、あっさりと吉澤ひとみが誰か分かった。
新メンバーを除けば、後三人である。増えているが、それはやっぱり映像では辻希美と加護亜衣の区別がつかないからだった。
・「海皇紀」 川原正敏 月刊マガジン 講談社
時は過去のような未来。少女マイアと伝説の兵法者、トゥバン・サノオは、「カガク」を求める旅の途中で、ウォルハンの王カザル・シェイ・ロン、そして海の一族だというファン・ガンマ・ビゼンと出会う。「カガク」とは何なのか、覇王への道を走り始めるカザルの運命は、そしてファンの正体は。
海洋漫画、というと、やはり「ONE PIECE」と比べてしまうのだが、こちらが明らかに優れている所は、やはり操船の描写だろう。読んでいるだけで、船について詳しくなった気になれる。
登場人物達も多彩だ。謎だらけでつかめない性格ながらも人を引き込んで行く主人公のファンをはじめとして、冷静沈着なようでいて実は一番何をしでかすか分からないトゥバン・サノオや、再登場が望まれる大馬鹿者カザル、危なっかしくて放っておけないマイア、飄々としていても実は苦労人のヴェダイ、やたらと語彙は豊かなのに連載が三年に突入した頃まで笑ったことのなかったニッカ、等々、挙げるときりがない。
侵攻を続けるロナルディア、謎の言葉カガク、オンタナの謎の巨人森守、と謎や複線も多く、一体彼らがどうなってしまうのか目が離せなくなる。
が、今は川原先生がマガジン誌上で「修羅の刻」を連載されている為に、来年の春まで休載なのだった。連載再開まで、大人しく単行本を読んで待っていよう。
二〇〇一年九月二十九日(土)
九月初頭の自分への私信を、今頃になって発見する。恥ずかしい。
反省して、そちらのサイトさんへ日参する事を決意する。
・・・でも、未だに妻夫木聡と竹内結子の両氏が何者なのか分かっていない。
二〇〇一年九月二十八日(金)
真鍋譲治「銀河戦国群雄伝ライ」最終話を読む。
・・・第二夫人と第三夫人(とひょっとしたら第四夫人)の後継者争いであっさり帝国崩壊に百円。
しかし、第三夫人と第四夫人はいらないな、この話。
ちなみに私が好きなのは狼刃だった。彼女と雷の決戦から骸羅の死の辺りまでがこの話のピークだったと思う。
(余談だが、私は他の脇役の名前は大概忘れていたのに狼刃と骸羅の名はしっかりと覚えていた。自分でも気に入り振りがよく分かる)
というか、私の気に入っていた人、全員死んでいる。
話は変わるが昨日、生まれて始めて、人前でいちゃつく男女というものを見かける。
見てしまったほうが恥ずかしくなってしまう。
二〇〇一年九月二十六日(水)
最近、とある方と話しているときに気付いたのだが、私がここで取り扱っている作品四つに対してそれぞれ気に入っているカップルがある。
ゲンドウとレイ(エヴァ)、源三郎とまりな(EVE)、ゴート・ジマーとリリオム(百星聖戦紀)、シャンクスとマキノ(ONE PIECE)。
・・・そう、全部の組が別れているのだった(内三組死別、残った一組もこのまま二度と会わないだろうから死別も同じか)。何かが間違っている。
それ以前に、本当の意味でカップルと言える組み合わせは源三郎とまりなだけのような気もする。
ところで、あの御方の復活を今週まで気付かなかった私は間抜けだろうか。
間抜けだろうな。
(ここに来られる方の大半は分からないと思われる話題ですみません)
二〇〇一年九月十四日(金)
しっかし、アメリカを蝕んでいるのはアメリカン・ドリームという名の病ではないだろうか?
やさぐれたボクサーが世界チャンピオンに挑戦して敗れるけれど人々からの歓声と恋人との真実の愛を手に入れる、程度なら罪が無いのに。
こんな時に人の生き死にを盛り込んだ話をちまちまと書いている辺り、己の業は深いと思う。が、私がその類の情報を仕入れていないだけで、本当は今でも世界のどこかで戦争もテロも抗争も殺人も事故も発生しているのである。
ローリー・キング「奥津城」(集英社)読破。途中まで読んでいた時はシリーズ物にして欲しかったが、最終的には単発ものとして終わらせた方が良いと思った。
二〇〇一年九月十三日(木)
テロは犯罪だ。そしてそれが誰で、どんな思想の持ち主であれ、犯罪者を捕らえ、裁くのは社会では当然のことだと思う。
ともあれ、被害者の方々の救出、ならびにしかるべき治療が迅速に施されることを切に願う。
二〇〇一年九月十二日(水)
一昨日、帰っておりました。
一日目(土曜日)
十時出発、十一時過ぎには新大阪到着。
暇つぶしに、と母が買ってきた女性週刊誌は火曜日発売の女性自身だった。
母が読んだ後私も読ませてもらう。「悪女聖書はいつ単行本化するのかね」と思いつつぱらぱらめくっていたら、モーニング娘。の新メンバーの記事が。
メンバー全員の表もあることだし、さあ覚えるぞ、と思ったのは良いが、結局覚えたのは「保田圭がサブリーダーになっていた」ということだった。・・・いつの話だと思っているのだろうか。
十一時五十九分に夜行列車で出発。
二日目(日曜日)
夜行列車は冷房が効きすぎていた。
他にも列車とは(「では」じゃない、「とは」である)色々とあったのだが、あえて何も記さないでおく。
それとは別に乗客を見ていると結構多彩で、老若男女揃っている。既成から下宿先に戻る学生さんもいれば山登りに行くらしいおばさま方もいらっしゃる。
凍えつつも八時十分過ぎに小郡到着。山口市へ。
「朝食は山口で摂ろう」と言い合っていた我々、山口市に着いて愕然となる。
駅の周りには、朝から営業している食堂はおろか、コンビニも無い。
(実は側のビルの、大変分かりにくいところにあったレストランが開いていた可能性もあるのだが、発見するのは後のことである)
仕方なく徒歩で美術館へ向かう途中に会った喫茶店で朝食を摂る。
だがしかし、ここにも落とし穴があった。
「モーニングセットはサンドとホッとサンドの二種類がありますが」
「じゃあ、ホットサンドを」
出てきたのは、ハムを挟んでチーズをふんだんに載せた、クロックムッシュだった。空きっ腹にこれは辛い。辛すぎる。
しかも同時に出されたサラダはレタスが油たっぷりのドレッシングを十二分に吸収している。トマトも無い。
コーヒーに脂分たっぷりのミルクを入れる気には、とてもなれなかった。
続きはいずれ。
当たり前といえば当たり前だが、こうしてページをお持ちの方は揃って日記ないしそれに近いものにアメリカの件を書いていらっしゃる。
私の場合、真っ先に思ったことが「ああ、現代は新谷かおる『砂の薔薇』の時代なんだな」ということであった。
・・・漫画を例に持ち出す辺りがなんだかな。
正直な話、もし襲撃されたのがアメリカではなくて日本だったりしたら、それも私の家族が殺されたりしたら、私はマリーのように復讐の為に立ち上がれるのか、よく分からないのだ。
次はひょっとしたら日本かもしれない、という想像が出来ないことも、ある。
能力的な問題を置いてでも、あえて考える。私は、戦えるのだろうか?
二〇〇一年九月八日(土)
今夜から明後日まで、山口へ出かけます。
掲示板とメールの返事を待たれている方、すみません。帰ってからとなります。
なお未だ、何の準備もしていません(現在時刻午後五時丁度)。
二〇〇一年九月三日(月)
金曜日、テレビで放映されたタイタニックの前編、一時間ほどを見た。つまり、ジャックがローズを発見する瞬間まで(しまった、有名な場面は見逃した)。
その一時間の中で、かの船の内部描写が少しあったが、やはり船の空間把握は難しい。
それと声。まず思うことといえば、立木文彦さんが仕事されていた、じゃなくて、
・・・主役二人に有名人が声をあてるなんて企画じゃなくて良かった。本当に良かった。
でも、誰が演じても非難轟々は目に見えていたから、よく引き受けたよな、二人の役の声優さんも。
後、レオナルド・ディカプリオもケイト・ウィンスレットも、映画の頃より今の方が、少年少女特有の顔の丸みが取れた、いい顔をしていると思う。
日曜日、スモーカー大佐登場場面を見る。オヤジーデは見逃した。
二〇〇一年八月三十一日(金)
家人が竹内まりや「Bon Appetit!」(本当はeの上に記号あり)を買ってきたので聞く。
「今夜はHearty Party」が世に出てから六年にもなるのに、「いつか彼よりも上の男と結ばれよう」というような意味の歌詞を、いまだに通用させている木村拓哉は偉いと思います。
二〇〇一年八月三十日(木)
ファイナルファンタジー10の、世界一ピュアなキスとやらをようやく見る。
・・・
・・・
・・・あの宣伝文句を考えた方は、あんしんパパ「はじめてのチュウ」を歌って大いに反省するように。
二〇〇一年八月二十七日(月)
昨日、大阪の催しに行って来た。
東京の催しは怪我人や病人が出そうな雰囲気だが、大阪はさほどでもない。私は九時過ぎに家を出て、十一時前に会場に着き、十一時半過ぎには入場できた。その程度である。
それにしても、ONE PIECEのサークルはゾロとサンジのものばかり、NARUTOのサークルはカカシ先生とイルカ先生のものばかりだ。その辺りを歩いてみると、分け入っても分け入っても同じ顔、で結構壮観ではあったが、たまには奇をてらってドリーさんとブロギーさんの本とか、大蛇丸と三代目の本とかが並んでくれないものか。
そんなことを思いつつも会場内をくるくると回ってみた結果、一番目当ての方が本を一冊も出していなかったのは悲しい限りだった。一方でしばらく大阪に来られなかった方が参加なさっていた上に未入手だった本を四冊も出されていたり、イビキ先生とアンコ先生のサークルが増えていたり、川原正敏「海皇紀」(月刊少年マガジン、講談社)の本が五冊もあったのはとても嬉しい。
次はバロックワークスの本がありますように。
帰りはいつも梅田でおいしい食事をいただくことにしている。この日ばかりは金銭感覚が麻痺しているので、多少はたいても平然としている自分が少々怖い。
この日はお代わり自由のものがやたらと多い(御飯もしくはパン、味噌汁もしくはスープ、飲み物各種、何故かソフトクリームまで)ランチセットをいただいた。当然、しっかりいただいた。
更に寄った本屋で、ローリー・R・キングの最新刊、「奥津城(おくつき)」(佐々田雅子・訳、集英社)を喜び勇んで購入する。すると。
何と、主人公の亡夫の名前がアーロンだった!
どうして最近の私はこうもアーロンという名の人にご縁があるのだろう。アーロンという名の虫でも苛めたか?
なお、本の内容はやはり私好みの話である。ということはあれなのだ。
二〇〇一年八月二十四日(金)
FF10で、スノーモービルに乗るというイベントがある。
雑誌を立ち読みしたとき、そこまでの間にちょこちょこと出てきた選択肢をどう選んだかによって、一緒に乗ったり走ったりする人が決まるらしい、と知った。
通常はルールーというお姉さんになるそうなので、無難に選択肢を通ってきた私もルールーになるんだろうな、と思いつつ遂にイベントを迎える。
一緒に走っていたのはアーロンという男性だった。
・・・ばれている。私がアーロンを気に入っているのがばれている。
でもやっぱりアーロンといったらONE PIECEの魚人海賊団船長ノコギリのアーロンだと思っている。
二〇〇一年八月十九日(日)
アニメ版「ONE PIECE」を久し振りに見た。
ドリーさんとブロギーさんの友情にちょっとくるものがあったり、ミス・ゴールデンウィークが微笑んだのに心の中で転がったり、サンジの「好きだー」に「私も君が好きだー」と返したり(馬鹿)していたのだが、何といっても今回の目玉はあれである。
そう、サー・クロコダイルの声だ。
声を聞くまで、「もし何かの間違いで高い声なぞになっていたらどうしよう」とか思っていたので、聞いた途端安堵した。思っていたのより低かったという結果、大いに結構。もうちょっと若い声のほうが良かったかな?と思ったりもしたが、まあ、そこまで贅沢は言えないか。
声を当てていらっしゃるのは大友龍三郎さんという方で、全く存じなかった私は取り敢えず出演作品を調べてみた。が、見ていたのはバスタードのみ、しかも私は一巻しか見ていないのでアビゲイルの声は記憶に全くない。
バスタードで一番好きなのはアビゲイルなのに。あの方(無論アビゲイル)に「美しいお嬢さん」と呼んでもらえるならなんでもいたします。
二〇〇一年八月十五日(水)
ああ、今日も空は青い。
本日をもって、バイトを辞める事になった。
長期のアルバイトを自主的に辞めるのはこれが初めてだな、そういえば。
老若男女、様々な人にお会いできたことは良い経験になった。
昨日、驚いたこと。
新作のPS版ONE PIECEのデモ画面が店先に映っていたので何となく眺めていたら、サー・クロコダイルとミス・オールサンデーの2ショットが一瞬だけあった。
たったそれだけのことで購入すべきか恐ろしいほど悩んでいる。
多分買うだろう。パッケージの説明に「クリア後も楽しめます」と書いてあることから、ゲームとしても私向けらしいのが分かることだし。
それにしてもなあ、買うならアンジェリークトロワが先だろうが、私よ(でもONE PIECEより遥か先に発売されたのに高い)。
二〇〇一年八月四日(土)
家人が買ってきたファイナルファンタジー10(スクウェア)を遊ぶ。
映像の時、各人の毛穴まで見えそうで怖い。
ワッカというキャラクターの声の人がONE PIECEのゾロの声の人だった。
今回のヒロイン、ユウナは真面目な良い子なのか。
しかし、今序盤まで遊んでいるが、要所要所でヒロインに良いところを見せているのはどう考えても獣人、キマリのように見える。
そういえばキマリって、ユウナが子供の頃から護衛についていたのだよな。いい人だなあ。
いっそのことキマリとユウナがくっついてしまえ。
などと考えつつ戦闘に明け暮れる今日この頃である。
なお、8はシド校長とイデアが浜辺でたたずんでいるのを見て安心した為、・・・というよりカードゲームに疲れて止まっている。
二〇〇一年七月二十九日(日)
今野緒雪「マリア様がみてる チェリーブロッサム」(集英社)を購入。
・・・そうか、今回、雑誌の話を最初に持ってくるからこそ、前巻最後の話は聖さまと志摩子さんの話だったのか。
しかし、仮にも成人の身であるにも関わらず、コバルト文庫を読みふけって「志摩子さん、良いなあ」とか思っている自分は何なのだろう。
二〇〇一年六月二十九日(金)
一昨日にやっとの事で「クイルズ」を観に行くことができた。
観に行っていない方は観に行きましょう。ただし、サド侯爵の話だからといって、映像的にきつい場面はほんのわずかなので注意(別の意味ならきつい場面はいくらでもありますが)。
しかしパンフレットよ、いくら時期が時期だからといって、レクター博士とサド侯爵を比べるとは何事か。
一昨日はかの名作SF、ロバート・A・ハインライン「夏への扉」を読んだ。
現代日本にダンが発明した機械があったら、きっと置き場所に困ると思う。いや、問題はそこではない。
何だか、リッキィに恋する少女の生々しさを感じないのは私だけだろうか。ダンも、九歳の少女にとって二十一歳は永遠にも等しい先の事、と分かっているのに、二十一歳になるまで待ってくれ、と言い渡すとは何と残酷な話だろう。
考えられる事は一つ、やっぱり祖母を置いて行けなかったのだ。つまり、肉親を捨てられるほどダンへの思いは強くなかった、という事になる。
でも、十二年も待つほどに強い思いである事を強要されるのだ。それも、九歳の少女を娶るのは社会的に許される行為ではない、という、ただそれだけの事で。
精神的な病にかかる、とまでは言わなくても、あまりにも強い思いを抱いていて、しかも相手も自分を思ってくれているのが分かっているのに離れる事を強要された場合、せめて悲鳴を上げて気を失わないと。
二〇〇一年六月二十四日(日)
横森理香「結婚小説」(東京書籍)を読む。どうも私はこの人の作品は肌に合うらしく、すらすらと読めてしまう。
案外、人それぞれに合った結婚は手に入りやすいものかもしれない、という話である。この話の登場人物は後で己の結婚生活を振り返って、それぞれに、自分の結婚は幸せだった、それに比べてあの人はよくあんな結婚を続けていられるよなあ、と思うのだろう。
己を振り返ると、私はまゆこのような結婚以外は無理だろう。何となく気に触らない男とお付き合いを深めて結婚を決める。
で、相手の男が結婚の準備を色々と仕切って、あちらこちらに引っ張り回してくれる、という。
面倒くさがりの私には、後者の方がより重要なのは言う間でもない。
二〇〇一年六月二十三日(土)
10が発売されようとしている今頃になって、ファイナルファンタジー8(スクウェア)を始めている。今は二枚目のディスクである。
ところで、どうしてもスコールとキスティスを結ばせたくて、リノアに対して冷たい言動を取らせるという、無駄な抵抗を続けているのは私だけだろうか。
サイファーにはシュウ(実施試験の時のやり取りが、流石のサイファーもシュウだけには適わない、という感じで良し)、ゼルには図書委員の少女(他に良さげな人がいないしね、ゼル・・・)、アーヴァインにはセルフィ(いや、列車の中で口説いていたから)、ラグナにはジュリア(何でこの二人を結ばせなかったの)、レインにはアイテムショップの店員(顔が見えないでしょうが)、で、リノアには森のフクロウのメンバーのどちらか(しゃがみこんでの作戦会議、好きだ)、が、それぞれ合っていると思う。
もっとも、私が他の組み合わせなんてどうでも良くなるぐらいに気に入っているのはシド学園長と魔女イデア。
かつては幸せだったのだろう二人が、色々と事情があるのだろうけれど、組織や国を巻き込んでまでして殺し合おうとしているのである。気に入るなという方が無理だ。
二〇〇一年六月十八日(月)
水曜日、うっかり「百星聖戦紀」がドラゴンマガジンに載っていた、という夢を見る。
今のドラゴンマガジンでは、まずあり得ないことだろう。最初のエピソード、「サラディガの妖星」はドラゴンマガジンに掲載されたというのに、今やあの雑誌はすっかり面変わりしてしまった。
ちなみに夢の中の「百星聖戦紀」はどういう展開を迎えていたかというと、詳細は覚えていないが、ゴード・ジマーが呑んだくれになっていたのは、よおく覚えている。
そして、水晶玉で生き霊を呼び出せる、という展開になり(何でだ)、どうも周囲にいたのがルーンガルドの人達らしく、ルーンガルドの人を呼びだして現状を聞くがうまくいかない。
「やはり、そこらの人間を呼んだところで埒があかないか・・・」
「うん。待てよ、この水晶玉、誰でも呼び出せるのか?」
「ああ。・・・まさか、あの人を」
で、以下次号。
夢なのに気になるぞ。しかも夢だから続きが読めないし。多分、ディオーレを呼ぶんだろうけれど。
単行本を読み返して、「ファイブスター物語」で一番好きなのはバランカかもなあ、と思う今日この頃。
二〇〇一年六月一日(金)
唐突にカウボーイビバップの話。
しかしビシャスとスパイクは最初はジュリアに対して抱いていたのが淡い思慕だけだったのが、同じ人を好きである事に気付いた時から、元よりどちらか上か決着をつけたいという闘争本能を抱いていた為に、無意識の内にジュリアを争いの道具にしてしまった。ジュリアは二人の本当の気持ちが分かっていたからどちらも愛さずにはいられなかったし、哀れみを感じずにはいられなかったし、止める事も出来なかった。
断ち切る為には誰かが鎖を断ち切る、つまり忘れるか、諦めるか、振りきるかをしなければならなかったんだけれど、とうとう最終話で鎖の一本が切れてしまっても彼らはそれにすがり付き、遂に全ての鎖が切れてしまった。
私の中でカウボーイビバップとはつまりそういう話。多分。
(その他の登場人物の人達、ごめん)
更に唐突に曽田正人「昴」(ビックコミックスピリッツ、小学館)の話。
というのも五巻を買ってきたのだけれど、
高熱にうかされて道具をまともに持てない昴にお化粧をしてあげたり、
己でも無茶苦茶と分かっているような論理で励ましてあげたり、
「この娘はいけにえだ」と言いつつ倒れそうになると支えてあげたり、
踊り出した昴に対して教え手の目になったり、
踊り終わった昴が倒れた側にすかさず現れて抱きかかえたり、
「あたしは負ける」と言ったのに「では何故舞台へ向かうんだ」と問い掛けたり、
涙を見せた昴の肩をぐっと抱き寄せたり、
とうとう病院へ運んでもらうよう医師に頼んでおきながら原因不明の胸の痛みを感じたり、
しかしカティアが来ていないことを知って一転、昴を一喝して叩き起こしたり、
昴の言動とその踊りに遂に涙が出たり、
昴が幻の中でまで見ていた「昴が一番」という言葉を眠っている時とはいえ現実でかけてあげたり、
カティアが聞いているのも知らずに昴を「私の星(エトワール)」と呼んでしまったり、
でもやっぱり昴に憎まれたままだったり、
そうとは知らずに昴の先のことを決めていたらあっさりと逃げられたり、
追いついた先の空港で注意を引く為とはいえ衆人の前で窓ガラスを思いきり叩いたり、
昴が本気で去るつもりだと悟ると決してそれ以上は追いかけなかったり、
・・・本当、ワーニャって良い。
カティアだが、多分、自分が天才なのをわかっていて、ほとんど努力しなくてもバレエ界の頂点に立てるし、ワーニャのパートナーの座も得られる、と思っていたのだろう。
その思いこみがワーニャのエトワール発言で一転すると絶対に楽しい。以降、カティアはワーニャが「いい」と言ってくれるまで踊らないと耐えられなくなって、しかしどれだけ「いい」と言ってくれても「あの時のワーニャの言葉はなんだったの」と何度も不信感に襲われる、というような事態になっていないものか。
ワーニャについてはある方の掲示板で何度も語った通り、昴が各地のバレエ団を転々とするのを追いかけて「君の名は」ばりにすれ違いまくるか、何事もなかったかのようにカティアを育てているか、のどちらかであって欲しい。再会時の反応は、前者だとやっと会えたという安堵、後者だと冷たく無視でないといけない。対する昴の反応は前者だと「・・・何なの?」後者だと「まあ、仕方ないか・・・」。
昴の今後は、まあ、本編で語られているから予想しなくてもいいか。
しかしこの、四十かそこらの男性を十代の少女二人が取り合う展開になるのだろう話の良い所は、一切の幻想と恋愛感情がないところだろうな。
敢えていうなら、三人とも、実はお互いのことなんてどうでも良くて、本当に愛しているのはバレエ以外にないところが。
ちなみに私としては、フリー・ヴァリエーションを躍らせるべく、搬送されようとしていた昴を追いかけるワーニャが一番ツボにはまった。
二〇〇一年五月二十七日(日)
アニメのゲンドウは父性の象徴である。人間の面はレイとリツコと冬月の影に隠れ、我々の目には見えない。
それが己の過失にうろたえ、敗北を悟る生身の父親になったところに劇場版最終話のカタルシスがあるのであって、そのエヴァ終盤の醍醐味をご破算にしてどこへいく漫画版。
二〇〇一年五月二十五日(金)
しかし、私も読まれた方が引くような文を書くんじゃない。
と、下の自分の文を読んで思う。
ダグラス・カイエンはとても好きだった。外見重視の妹と私との好みが一致する、数少ない男だったりする。
何といってもマザコンで、ロリコンで、女ったらしで、ほどよく無責任で、生涯反抗期で、けれど引けない時は分かっていた。誰のことをも振り回しておきながら、その全てに振り回された。
そういう面倒な男でなければいやだ、という、この感覚は何なんだ?
二〇〇一年五月十五日(火)
やっとのことで今月の永野護「ファイブスターストーリーズ」(角川書店)を読む。
カイエンのど阿呆。死ぬ気なら私と結婚してからにしなさい。
(結局、どこまでも着いて行く、と女に言わせない男は、一見優しいようだけれどその実残酷なのよ、という話)
しかし結局、この漫画も血統主義なんだよなあ。成り上がりって全くない。
昔はとても好きな話だったんだけれど、それに気付いてからあまり読みたくなくなった。
それでも四巻の最後を読むと、未だに泣けてくる。
故に、「二人の絆はそれぞれの血からなるものが全てで、本人達の意思なんてどうでも良かった」と言われているような設定を後で知って、愕然としたものだ。