DEAR BLOOD






第一話 夢から覚めると、海岸だった





 ・・・時は、終息を迎えつつあった。

 大海は紅く、その色と同じ帯を身につけた空を飲み込んでいる。

 少年は、少女を手の中に入れていた。

 手の中の少女は言葉を発した。

 そして。



 「どいてよ」

 続けて出たその言葉に、シンジは我にかえった。嗚咽をとめて、ふるえる手を白い首から離す。呆然とした様子で、まるで弾かれるように離れ、そのまま座り込んだ。

 アスカは首をさすりながら、ゆっくりと身を起こした。確かに今は指の跡が目立っているが、後々まで残るほど痛くもなさそうだった。

 と、シンジに目を向けた。

 「ずいぶんと、失礼なことをするじゃない」

 そこには、いつもの激しい怒りはない。シンジは意外だと思ったのか、うつむいていた顔が少し上がる。

 「気絶している人間の首を絞めるなんて」

 「・・・ごめん」

 「また、すぐそうやって謝る」

 「でも」

 「でも、じゃないって、何度言ったら分かるのよ。まったく、情けない」

 アスカはそう言いながら、体の砂を払いのけて、立ち上がる。

 「・・・変わったわね、ここも」

 「ここって?」

 「ここ、よ。たぶん、第三新東京市」

 シンジは周りを見回した。かつての第三新東京市は山の中にあり、こんな海岸などあるわけがなかった。しかし、シンジは少しも驚いた表情を見せることなく、「だろうね」と言ったきりで、再びうつむく。

 「シンジ」

 ようやく、アスカがシンジの名前を呼んだ。

 「あんた、この事態の理由、知ってるんじゃないの?」

 沈黙が、ふたりの間を覆う。

 シンジがかすかに頷いた。

 「サードインパクトが起きたのね」

 再び、頷く。

 「・・・結局、あたしたちの努力は水の泡、か」

 「どうして」

 「だって、そうじゃないの」

 アスカが声を張り上げた。

 「あたしたちは、使徒を撃退し、予測されるサードインパクトを未然に防ぐために選ばれた、エヴァンゲリオンのパイロットなのよ?これで、目的は失敗。一体、どれだけの人や物が失われたか」

 アスカの言葉が止まった。シンジが、彼女の言葉をかき消すぐらいの強い叫びをあげだしたからである。

 「ちょっと、シンジ」

 すぐさま、シンジの肩に手が置かれて強く揺さぶられたが、シンジは息が切れてもなおも叫ぼうとするし、頭を指がめり込みそうなぐらいにかかえて、何かの衝撃に耐えてるかのようだった。

 どこか異常な様子に対する、アスカの決断は早かった。左手で髪をつかんで強引に顔を上げさせると、右手を振り上げる。

 平手打ちが一回。返す手で裏拳も一回。

 少しずつ、シンジの目の焦点が戻ってきた。荒く呼吸しつつも、睨み付けるように見つめているアスカを、彼もまた見ている。

 「・・・僕のせいなんだ」

 熱にうなされているかのような声だった。

 「サードインパクトの原因は、僕なんだ。みんな死んだのも、みんな壊れたのも、僕が壊したからなんだ」

 アスカは、冷静につとめようとしているようだった。シンジの肩に両手を置き、言葉を選んでいるのか、彼女にしては珍しく、ゆっくりと語りかける。

 「悪いけれど、あんたが言っていることが理解できてない。あたしが知ってることでも知らないことでもいい、あんたが話したいことを全部話して。全部聞くから」

 シンジは、肩に置かれているアスカの手と、その言葉に押されていったかのように、少しずつ話し始めた。

 レイがクローンであること。

 リツコがレイの体を、一つをのぞいて全て破壊したこと。

 最後の使徒、渚カヲルのこと。

 ネルフに自衛隊が攻め込んできたこと。

 自分を迎えにきて、そして送っていったミサトのこと。

 乗り込んだエヴァから、破壊された弐号機を見たこと。

 自分をエヴァごと包み込んだ、レイとカヲル。

 そして見たもの。

 「・・・そう」

 長い話が終わった後、アスカは、淡々とした様子で言った。

 「あんたが、サードインパクトを起こしたんだ」

 しかし、それっきりで、他には何も言わない。たまりかねたように、シンジが口を開いた。

 「・・・アスカは責めないの?」

 「どういう意味よ」

 「だって、僕がサードインパクトを起こしたんだよ?こんな事態にしたのは、僕なんだよ?憎くないの?いつものアスカなら、馬鹿とか何とか言って、僕を責めるじゃないか。そうしてよ。僕が嫌いだって言ってよ」

 「・・・シンジ」

 アスカは、何もしない。ただ、話しかけるだけだ。

 「そういうこと、言わないでよ」

 そうして今度はアスカがうつむいた。肩に置かれた指がくい込む。

 「ただでさえこんな状況なのに、あんたがおかしいと、あたしまでおかしくなりそうじゃない。あたしに怒って欲しいなんて、あんたじゃない」

 「僕は僕だよ。どうしてそんなこと言うんだよ」

 アスカは顔を上げた。その目はあいかわらず睨んでいるようにも、どこか泣き出しそうにも見える。

 「変わったわね、性格」

 「変わってないよ、こんなの」

 「・・・かもね。というより、あたしがあんたのこと、知らなさすぎるだけなのかもしれない。とにかく」

 肩から手が離れた。

 「あたしは今回のことで、あんたに同情したりしない。軽々しく分かった気になるつもりもないし、サードインパクトを起こしたきっかけがあんたなのは、どうやら事実みたいだし。それに対する責任とか、罪悪感だとかは、あんたが自分でどうにかするのね。時間が経てば忘れるとか、そういう問題じゃないと思うけれど。・・・もちろん、責めたりもしないから、その点については安心して。というより、今のあんたの姿を見ていたら、あきれて、責める気もなくなるわよ、こっちは」

 満ち潮だろうか、波が、ふたりの足下まで来ていた。それに気づいて、アスカが立ち上がる。

 「じゃ、行きましょ」

 先程とはうって変わって、実に軽い調子で言う。

 「行くって、どこへさ」

 「とりあえず、人のいそうな所へよ」

 「・・・いるかな」

 「いるわよ。だって、サードインパクトの中心も中心にいたあたしたちが、こうして不自由なく動いているのよ?ひょっとしたら、被害はセカンドインパクトより劣っているかもしれないわ」

 「かもしれないね」

 「あんたね」

 アスカの口調が、責める風に変わってきた。

 「そうやって、人の言葉を皮肉るところは、あいかわらずじゃない。嘆かわしいこと、この上ないわ」

 「そういうアスカだって」

 シンジも、思わず睨み返す。

 「あいかわらず、人を馬鹿にしたように話すじゃないか。もう少し、言葉を選んだらどうなんだよ」

 「あんたが、呆れたことばかり口にするからでしょ。そっちこそ、人の神経を逆撫でさせない発言を心がけなさいよ」

 「だから、・・・」

 シンジは何か言おうとして、それをやめた。

 「・・・やめよう。かえって疲れてきた」

 「・・・それもそうね」

 そうして、アスカは改めて言った。

 「行く?」

 シンジは頷いた。今の応酬が薬となったのか、身体の苦痛は多少、軽くなったように見える。

 少し体がふらついたが、どうにか立ち上がった。そうして、歩き出したアスカの後に続く。

 「でも、良かったじゃない」

 と、アスカが前方に顔を向けたまま言った。

 「お互い、ママに会えたんだもの」

 「お互い?」

 シンジが疑わしげに言う。

 「お互いって、どういうことだよ」

 「ま、最初から説明すると、長い話になるわね」

 アスカの口調には、からかうようなものさえあった。

 「これから、ゆっくりと話すわよ」



 続く




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