・・・時は、終息を迎えつつあった。
大海は紅く、その色と同じ帯を身につけた空を飲み込んでいる。
少年は、少女を手の中に入れていた。
手の中の少女は言葉を発した。
そして。
「どいてよ」
続けて出たその言葉に、シンジは我にかえった。嗚咽をとめて、ふるえる手を白い首から離す。呆然とした様子で、まるで弾かれるように離れ、そのまま座り込んだ。
アスカは首をさすりながら、ゆっくりと身を起こした。確かに今は指の跡が目立っているが、後々まで残るほど痛くもなさそうだった。
と、シンジに目を向けた。
「ずいぶんと、失礼なことをするじゃない」
そこには、いつもの激しい怒りはない。シンジは意外だと思ったのか、うつむいていた顔が少し上がる。
「気絶している人間の首を絞めるなんて」
「・・・ごめん」
「また、すぐそうやって謝る」
「でも」
「でも、じゃないって、何度言ったら分かるのよ。まったく、情けない」
アスカはそう言いながら、体の砂を払いのけて、立ち上がる。
「・・・変わったわね、ここも」
「ここって?」
「ここ、よ。たぶん、第三新東京市」
シンジは周りを見回した。かつての第三新東京市は山の中にあり、こんな海岸などあるわけがなかった。しかし、シンジは少しも驚いた表情を見せることなく、「だろうね」と言ったきりで、再びうつむく。
「シンジ」
ようやく、アスカがシンジの名前を呼んだ。
「あんた、この事態の理由、知ってるんじゃないの?」
沈黙が、ふたりの間を覆う。
シンジがかすかに頷いた。
「サードインパクトが起きたのね」
再び、頷く。
「・・・結局、あたしたちの努力は水の泡、か」
「どうして」
「だって、そうじゃないの」
アスカが声を張り上げた。
「あたしたちは、使徒を撃退し、予測されるサードインパクトを未然に防ぐために選ばれた、エヴァンゲリオンのパイロットなのよ?これで、目的は失敗。一体、どれだけの人や物が失われたか」
アスカの言葉が止まった。シンジが、彼女の言葉をかき消すぐらいの強い叫びをあげだしたからである。
「ちょっと、シンジ」
すぐさま、シンジの肩に手が置かれて強く揺さぶられたが、シンジは息が切れてもなおも叫ぼうとするし、頭を指がめり込みそうなぐらいにかかえて、何かの衝撃に耐えてるかのようだった。
どこか異常な様子に対する、アスカの決断は早かった。左手で髪をつかんで強引に顔を上げさせると、右手を振り上げる。
平手打ちが一回。返す手で裏拳も一回。
少しずつ、シンジの目の焦点が戻ってきた。荒く呼吸しつつも、睨み付けるように見つめているアスカを、彼もまた見ている。
「・・・僕のせいなんだ」
熱にうなされているかのような声だった。
「サードインパクトの原因は、僕なんだ。みんな死んだのも、みんな壊れたのも、僕が壊したからなんだ」
アスカは、冷静につとめようとしているようだった。シンジの肩に両手を置き、言葉を選んでいるのか、彼女にしては珍しく、ゆっくりと語りかける。
「悪いけれど、あんたが言っていることが理解できてない。あたしが知ってることでも知らないことでもいい、あんたが話したいことを全部話して。全部聞くから」
シンジは、肩に置かれているアスカの手と、その言葉に押されていったかのように、少しずつ話し始めた。
レイがクローンであること。
リツコがレイの体を、一つをのぞいて全て破壊したこと。
最後の使徒、渚カヲルのこと。
ネルフに自衛隊が攻め込んできたこと。
自分を迎えにきて、そして送っていったミサトのこと。
乗り込んだエヴァから、破壊された弐号機を見たこと。
自分をエヴァごと包み込んだ、レイとカヲル。
そして見たもの。
「・・・そう」
長い話が終わった後、アスカは、淡々とした様子で言った。
「あんたが、サードインパクトを起こしたんだ」
しかし、それっきりで、他には何も言わない。たまりかねたように、シンジが口を開いた。
「・・・アスカは責めないの?」
「どういう意味よ」
「だって、僕がサードインパクトを起こしたんだよ?こんな事態にしたのは、僕なんだよ?憎くないの?いつものアスカなら、馬鹿とか何とか言って、僕を責めるじゃないか。そうしてよ。僕が嫌いだって言ってよ」
「・・・シンジ」
アスカは、何もしない。ただ、話しかけるだけだ。
「そういうこと、言わないでよ」
そうして今度はアスカがうつむいた。肩に置かれた指がくい込む。
「ただでさえこんな状況なのに、あんたがおかしいと、あたしまでおかしくなりそうじゃない。あたしに怒って欲しいなんて、あんたじゃない」
「僕は僕だよ。どうしてそんなこと言うんだよ」
アスカは顔を上げた。その目はあいかわらず睨んでいるようにも、どこか泣き出しそうにも見える。
「変わったわね、性格」
「変わってないよ、こんなの」
「・・・かもね。というより、あたしがあんたのこと、知らなさすぎるだけなのかもしれない。とにかく」
肩から手が離れた。
「あたしは今回のことで、あんたに同情したりしない。軽々しく分かった気になるつもりもないし、サードインパクトを起こしたきっかけがあんたなのは、どうやら事実みたいだし。それに対する責任とか、罪悪感だとかは、あんたが自分でどうにかするのね。時間が経てば忘れるとか、そういう問題じゃないと思うけれど。・・・もちろん、責めたりもしないから、その点については安心して。というより、今のあんたの姿を見ていたら、あきれて、責める気もなくなるわよ、こっちは」
満ち潮だろうか、波が、ふたりの足下まで来ていた。それに気づいて、アスカが立ち上がる。
「じゃ、行きましょ」
先程とはうって変わって、実に軽い調子で言う。
「行くって、どこへさ」
「とりあえず、人のいそうな所へよ」
「・・・いるかな」
「いるわよ。だって、サードインパクトの中心も中心にいたあたしたちが、こうして不自由なく動いているのよ?ひょっとしたら、被害はセカンドインパクトより劣っているかもしれないわ」
「かもしれないね」
「あんたね」
アスカの口調が、責める風に変わってきた。
「そうやって、人の言葉を皮肉るところは、あいかわらずじゃない。嘆かわしいこと、この上ないわ」
「そういうアスカだって」
シンジも、思わず睨み返す。
「あいかわらず、人を馬鹿にしたように話すじゃないか。もう少し、言葉を選んだらどうなんだよ」
「あんたが、呆れたことばかり口にするからでしょ。そっちこそ、人の神経を逆撫でさせない発言を心がけなさいよ」
「だから、・・・」
シンジは何か言おうとして、それをやめた。
「・・・やめよう。かえって疲れてきた」
「・・・それもそうね」
そうして、アスカは改めて言った。
「行く?」
シンジは頷いた。今の応酬が薬となったのか、身体の苦痛は多少、軽くなったように見える。
少し体がふらついたが、どうにか立ち上がった。そうして、歩き出したアスカの後に続く。
「でも、良かったじゃない」
と、アスカが前方に顔を向けたまま言った。
「お互い、ママに会えたんだもの」
「お互い?」
シンジが疑わしげに言う。
「お互いって、どういうことだよ」
「ま、最初から説明すると、長い話になるわね」
アスカの口調には、からかうようなものさえあった。
「これから、ゆっくりと話すわよ」
続く
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