過去の研究日誌 九冊目


 二〇一〇年一月十四日(木)

 日記のこの形式もずっと変わらないが、そろそろ変えるべきだろうか。

 家族に教えてもらったコロプラという携帯ゲームにはまる。
 始めるとコロニーを一つもらえる。移動距離によってゲーム内のお金が稼げるので、そうして得たお金でコロニーの施設を増やすというのが大まかな内容だ。
 おまけの要素として各都道府県にいくつか、大抵市町村で区切られているスタンプがある。例えば尼崎市から姫路市まで移動しました、と申請すると尼崎市と姫路市のスタンプをそれぞれもらえるという仕組みだ。私がはまったのがそれで、おかげで駅名と地名との知識がそこそこに増えた。
 でもやはり日常の範囲内では限界がある。私の見た中でも凄い人は近畿地方のすべてのスタンプを集めた人がいたけれど、私にはとても無理だ。スタンプは一段落して、後はぽつぽつとコロニーを育てるだけでいいかなと思う。


 二〇〇九年十二月十七日(木)

 今年聞いたアニメのOPやEDや挿入歌で良かったと思う曲一覧。

・「絶対可憐チルドレン」第4期ED「早春賦」
・「ONE PIECE」より「ビンクスの酒」
・「グイン・サーガ」ED「Saga〜This is my road」
・「けいおん!」ED「Don’t say“lazy"」
・「戦国BASARA」OP「JAP」
・「東のエデン」OP「FALLING DOWN」
・「東のエデン」ED「futuristic imagination」
・「リストランテ・パラディーゾ」ED「ステキな果実」
・「サマーウォーズ」主題歌「僕らの夏の夢」
・「青い花」OP「青い花」
・「うみねこのなく頃に」OP「片翼の鳥」
・「ささめきこと」OP「悲しいほど青く」

 ちなみに「戦国BASARA」は偶然一話のそれを見たら全話視聴が決まってしまったという優れもののOPであった。


 二〇〇九年十月一日(木)

 「シャングリ・ラ」を見終わった。
 凪子おばあちゃんとタルシャンお爺ちゃんは、最終回に國子か誰かをかばうとか、涼子か水蛭子と刺し違えるとか、崩壊するアトラスの中で見つめ合いながら黒煙の中へ消えていくとかすべきだったと思うんだが。まあ生きているならまた世界の迷惑となり続けてください。
 それと涼子は小夜子だけが好きだったんだなと思った。見ている間は全くそうは思わなかったが、涼子の最期までを見届けた後で小夜子への仕打ちの数々を思い返したら、もはや恋だと言い切って良い位、唯一執着した相手だったのに気付いた。少なくとも、示唆しただけで実際はどうだったかは分からないけれど、あの涼子が人間ごときと深い関係を持っていたというのが信じられない。典型的な、恋する相手に気付いて貰えないならいっそ相手の恋人を奪って憎まれようという行動ではないだろうか。
 何でも色恋で片付ければよいという訳ではないのは分かってはいるのだが、少なくとも大学時代に二人がくっついていたら後々防げただろう悲劇が大きすぎて、もう惚れてるという事にして気付いてしまえば良かったのに思ってしまう。性癖が見事に合っているのも大変良い。その場合、ミドリちゃんは生まれず、よって小夜子が美邦をあそこまで守り通す事も無かっただろう事だけが難か。
 武彦も最後にドゥオモの誰かと再会させて欲しかった。水蛭子と会ってミーコごと解放する役割位はさせるべきだったのでは。単身でアトラス崩壊させた一端を担っただけでも凄いけど。

 あ、ゲストキャラの声がいいなと思った回があったが、キャストを調べたら中博史さんだった。


 二〇〇九年九月二十九日(火)

 録り溜めていた「ONE PIECE」と「シャングリ・ラ」をぽつぽつ見ている。
 「ONE PIECE」はようやくハンコックが登場してくれた(どんだけ溜めてるんだ)。「シャングリ・ラ」は後半に入ったので毎回「○○ー!」と心の中で叫んでる。○○の中は毎回違う訳である。にしてもあれだけ帰って来るのが丸分かりの消え方もない。
(武彦の事ですよ。帰って来てなかったらどうしよう)
 「うみねこのなく頃に」は惨劇ばかりで辛いので早送りという間違った視聴方法。


 二〇〇九年七月十日(金)

 多分私は今日、高橋燎央・Founder masaki「12人の優しい殺し屋 −Leo MURDER CASE−」(マッグガーデン)1巻を入手する為に根性を出した人間としては、日本で十番以内に入る、と思う。といっても片道徒歩一時間以内の範囲で唯一在庫があった書店まで全力疾走しただけだが。
 これは色々とメディアミックスされている企画の一つで、この漫画も雑誌で読んでとても気に入っていたので単行本は大変楽しみにしていたのだ。
 というかその時読んだ話が少女達の友情ものだったからだ。
 来週秋田書店から出る藤枝とおる版も買うとして、次に出る小説本がムックで、更にCDがついているので多少お高いのが引っかかる。CDにムック本が付いていると思えばかなり安いが。


 二〇〇九年六月二十日(土)

 以前、面白い百合漫画を描かれていた方の別の本が、書店の百合漫画コーナーに置いてあった。それも以前買ったものと同じ出版社から出ていたものだったので喜び勇んで買い、読んだ。
 ロリでした。
 心についた傷が深過ぎる。


 二〇〇九年六月十九日(金)

 借りてきた「春のめざめ」と「名探偵ポワロ」を観る。前者はロシアのアニメーション短編の方だ。
 ポワロは幸福に向かって頑張る娘さんの味方になってくれるので良い。
 「春のめざめ」の教訓。二股はかけない。


 二〇〇九年六月十八日(木)

 ゲーム「戦国無双」(光栄)を遊んでいたら、お市が信長を止める展開が大変好みだった。
 アニメの「戦国BASARA」も、最後の最後でお市が信長に止めを刺す展開になって欲しいけれど、話の流れとしては政宗と幸村が倒すのが正しいのだから、ならないんだろうな。
 大抵の創作物で、信長と濃姫や、信長と秀吉の描写は大抵好きだ。


 二〇〇九年六月十三日(土)

 劇場版「魂萌え!」の感想を書いている時、テレビドラマ版の音楽も良かったな、と思い出した。調べたら、スパニッシュ・コネクションというグループが担当しており、サントラもちゃんと出ている事を発見した。
 こうして人は散財していくのか。


 二〇〇九年六月十二日(金)

 まつもと剛志「まじかるストロベリィ」(白泉社)が終わってしまった。
 最初は家族が買ってきたのを、「どうしてヤングアニマルでこんなエログロの全く無い、ほんわかした漫画が連載されているのか」と思っていたが、日夏やニコをはじめ登場人物が増え、世界が広がった辺りから俄然面白くなり、気付いたら「この前買ったという9巻はどこにあるんだ!」と家族を問い詰める位にどっぷりはまった。
 いい連載だった。

 しかし、最終回の成長したスージーは、ますます前坊先輩には勿体無い。スージーを逃したらもう先輩にはあらゆる意味で後が無いと思うので、これからも見捨てられない程度にろくでなしを通して欲しいものである。この段落については私は間違った事は書いてない。
 ところで成長した祐太郎君はいたかとか、ヘソ山さんとヨッシー先生はどうなったかとかが大変気になる。


 二〇〇九年六月九日(火)

 ここ数日の日記の年を二〇〇八年と間違えて書いていた事にやっと気付いた。情けない。
 ドラマCDの「蟹工船」と、やはり「蟹工船」の、30分で分かるシリーズのDVDを手に入れる。だって、前者はアーロンが浅川を演じていて、後者はクロコダイルが朗読してくれるんですもの(馬鹿)。去年のブームのおかげで恩恵を受けてしまった。
 どちらもダイジェストなので完全版は無いかと調べてみると、堂々三枚組の朗読CDが、少なくとも三種あるのが分かった。
 全部続けて聞いたら文字通り地獄さ行けそうだ。
 とりあえず新潮社から出ている若山弦藏さんが朗読したものだけは試聴出来なかったのでこれだけは全く聴いていないものの、残りの2つは発端だけを聞けた。
 読む人によって人物の造形ががらりと変わるのは当然だけれど、BGMの有る無し、あったとしてもどんなものをどこで使うか、によって送り手が、作品のどこを強調したいかが透けて見えるようだ。本来の作り手である小林多喜二の意図からは恐らく離れて、だ。少し怖い。


 二〇〇九年五月二十八日(木)

 栗本薫が死んだ。
 昨夜、ここに載せる文をメモに記していたけれど、一晩経つと、読み返すまでも無く使えない。感情的な文になってしまっている、とかではない。
 ずっと頭に載っていた巨大な岩が砕けてようやく顔を上げると、一面に暗雲が広がっていた気分だ、とだけ書く。


 二〇〇九年五月二十六日(火)

 先代がそれぞれ故障した為、我が家に新しいテレビとブルーレイ、ついでに炊飯器が入った。
 ……これでアクアプラスフェスタのブルーレイディスクが見られる…!
(「うたわれですか」「うたわれです」)

 さて、そんな理由の為、先日録画と視聴を逃したNHKBSの熱中夜話、再放送分を録画予約しようとすると、トラブルが発生した。
 先代では映っていたBSが映らない。
 ああでもないこうでもない、と頭を抱えた結果、アナログのみだがBSが見られるようなチャンネル調整に成功する。
 ほっとした一分後、今度はブルーレイでBSが見られない事態が発生したのだが。
 ともあれ、あれこれとあった苦難を乗り越え、無事録画が済んで一安心である。


 二〇〇九年五月二十日(水)

 続けるには魔術の歴史についての知識が足らないので中断。魔女狩りについて調べたくても図書館が閉鎖中である。
 そもそも段々と「うみねこのなく頃に」にかこつけて違う方向へ思考が飛んで行きそうになっているので止めて正解かもしれない。

 ふくやまけいこ「ひなぎく純真女学園」(徳間書店)の二巻を買ってきた。百合作品としてほんわかしたした雰囲気が大変気に入っている。
 私としては 秋山はる「オクターヴ」(講談社)は当然として、同じ雑誌に載っている木村紺「からん」(講談社)も百合だと言いたい。が、じゃあ女同士の友情物と百合の違いはあるのかと言われたら答えに困るかもしれない。
 こちらも女子高が舞台なので自然と少女が大勢出てくるのはよくある事として、中年以上の魅力的な女性がこんなに豊富に出てくる漫画も珍しい。しかも外見も性格も誰一人被らない。
 何しろ百合アニメで何が好きかといわれたら「灰羽連盟」と答えるだろう人間なので百合について定義が大雑把なのだ(「舞−HiME」は見ないと)。

 サイトを巡っているとたった一言について怒り心頭に発する文章を読み、言葉狩りについて色々と考える。


 二〇〇九年五月十八日(月)

 もう少し進めて考えてみよう。
 ぱっと読んだ時、私は恐らく3が
「はっはっは、どうせ君達には解けやしないだろうけどね……ふはははははは」
 だと思ったから不快になったのだろう。
 しかしそれは浅慮であって、恐らくは最終的にはこれは2ですらない筈である、というかこんなに話題になっている話の結末なんだからそうだと思いたい。
 トリックの解明とかは遊具室の中の玩具であって、遊具室の壁を壊せるものではない、という事は明記されている。
 しかし、事件が起きている以上、仕組みが解き明かせない事件はない。しかも現実に起きているものではないのだ、いざとなったらいくらでもとんでもないトリックはひねり出せるのである。
 では、魔術を肯定せざるを得ない状況というのは何か。

 本当に描きたいのは、現代社会における魔術の有効性、というのはどうだろう。
 といっても魔術で炎が飛んだり空を飛んだり、という万能的なものを信じるのではなく、ここでは一般的な認識の、占いやおまじない程度のものと考えてみる。
 現代社会において魔術(万能なものではなく、普通に認識されている占いやおまじない程度のものとしてここではとらえる)というものが人間を救うというのはどういう時か。
 もしも魔術を否定した場合、事件の裏にある何か(はっきりと誰か、としてもいいけどあんまり知らないし)を救えなくなる場合、それでも魔術を否定するのか? と提示された所へ物語が帰着するとしたら?

 もう少し考える。


 二〇〇九年五月十七日(日)

 不快になる、だけで止まってはいけないので整理してみる。  作品の意図というのは、
1.キャッチコピーにするような表面的なもの
2.最後まで読まないと分からないもの(イソップ物語の最後に入る教訓とかがこれ)
3.作者にしか分からない意図
 「うみねこのなく頃に」は1を提示する事で2を推理させようとして、うっかり3が透けて見えている、ような気になる。


 二〇〇九年五月十五日(金)

 「うみねこのなく頃に」(字の色が一つ違うのは何故? 作った人の趣味?)を調べたが、あの作品紹介を読んだ時の不快感は何かに通ずるものがある。
 ああそうだ、「絢爛舞踏祭」だ。


 二〇〇九年五月十四日(木)

 携帯を買った。


 二〇〇九年五月十三日(水)

 放送中のアニメをぽつぽつ見るようになっている。
 小杉さんが桐壷局長で参加していたのがきっかけで見た椎名高志「絶対可憐チルドレン」は最終回まですっかりはまり込んでCDも原作も買った。
 「リストランテ・パラディーゾ」を見ている流れで「東のエデン」も見たりとか。
 「ハヤテのごとく!」を見ている流れで「戦国BASARA」を見たら、凄かった。


 二〇〇九年五月十二日(火)

 そろそろ話を書かなければならない。
 しまぷ(う)さんの所への投稿も落としてしまった。このままでは元々ないここの意義ももっと無い事になるのでどうにか社会復帰(私にとって社会にいられるかの基準は話が書けるか、だ)を試みる。
 とりあえず本を読もう、と、図書館にあったヤン・アンドレア「デュラス、あなたは僕を(本当に)愛していたのですか」(河出書房新社)を読み始める。……復帰の為の本としてこれを選ぶのはどうよ。それにしても良い題名だ。
 映画「デュラス 愛の最終章」は映画館で観ていた。その基となった本の筈だ。映画を観ていた時はデュラスは本当にヤンを愛していたのか? と思ってしまうような仕打ちを強いる。他の人と食事をしていた時に彼を嘲笑する場面は恐ろしくなる。本でもそれは同じなのだけれど、ヤン自身の、デュラスを喪い、生命そのものを奪われるようにして、それでも綴られていく心理とともに書かれるので、どの場面にもその喪失感が染み渡っていて恐ろしいというよりもどこか哀しい。
 まだ読んでいるのは途中までだが、どんな結末でも救済はないだろう。どうにか生きていく事は出来ても。


 二〇〇九年四月二十四日(金)

 君は来月頭にあるアニソンのど自慢観戦に当選したか!
 私は確率の低い枠に見事入りました、ええ、落選に。


 二〇〇九年四月四日(土)

 ルーキーでお気に入りは文句無くファーザーことカポネの八崎節子ですこんにちは。レイリーの渋さには負けますが。蛇姫はルフィに惚れる前の方が好きでした。
 テレビのデジタル化?にあたり、先月、工事が行われるという事で先週までせっせと掃除していたのだが、自分がいかにいらない物を必要だと思い込んでいたかを思い知らされる。

 




 山本弘「詩羽のいる街」(角川書店)は雑誌掲載時から凄く気に入っていて、本もようやく手に入ったのだけど、サイトの内容紹介で女性を意識したと書かれていて、私もその意図に見事に引っかかっていたのを知る。
 人に親切にすることを生業とする女性、というものを成立させる為の細部が温かいものになっていて非常に面白い。血を見るような展開は登場人物の描く作品の中や回想だけで、現在進行形ではまずなく、まあ作中劇では血を見るどころか、なんだがそれもまたいい。
 でもどうして発売直後に買わなかったかというと、最終話、語り手が好きな人のことについてある女性と話している下りを読んで引っかかった所があるからだった。単純に好みの問題だろうなと思って購入後、その下りを読み返してみて考えてみたら、どうも私は「正しい」「正しくない」とはっきり言われると駄目なのに気付いた。何か、言語化してはいけないものまで言葉にしているような違和感を覚える。


 二〇〇八年十二月三十日(火)

 先週は何かしら予定があって忙しかった。表にしてみよう。

二十一日(日) 青春ラジメニアのイベントで神戸へ。
二十二日(月) 休み前なので限界まで残業。
二十三日(火) なんばにてボクシングミドル級日本タイトルマッチ観戦。
二十四日(水) 東京にて小杉十郎太さんのディナーショウ。そのまま現地宿泊。
二十五日(木) 東京観光。
二十六日(金) 休み明けなので限界まで残業。
二十七日(土) 勤め先の年内最終日。

 私としては異色の予定が混ざっているが、気にせず引き続き人生を謳歌していただきたい。
 ラジメニアのイベントについてはレポートを作成中である。
 小杉さんについては、四か月足らずでディナーショウに行くような事態になってしまった。良かったのかなあ、八十名の精鋭の中に私のような新参者が混ざって。
 ショウの後ホテルに戻り、ラジオを聞いていたら自分の出したメールが採用されていて驚く。

 


 二〇〇八年十月十一日(土)

 私の生年月日は、とあるお酒にまつわる漫画の主人公と全く同じだ。
 という訳で昨日から魅惑の三十代に突入である。
 女性は三十に近付くと急に慌てる、という印象があったので、私もショックを受けるのかなと思っていたが、実際には頭から大きなものを一度ぶつけられたというより、この一、二年程の時間をかけてじわじわと嫌なものが忍び寄ってくる感じだったように思う。おかげでいざ当日を迎えるとどうって事も無かった。
 三十にもなると真面目に過去を振り返って反省したりもする。この十年、二十代に相応しい生き方が出来たようには全く思えないので、三十代に相応しい生き方がしてみたいものである。三十代というと、大人である。仮にも文章だけでサイト作っている人間が一言で済ませるなと言われそうだな。精神の成熟が遅れているといわれている現代社会において、三十代とは多少のモラトリアムも許された、いや本当は許されないが、
 ……しかし、まさか子供の頃は、三十になったときの長期目標が「早く大人になる」と設定する羽目に陥るとは夢にも思わなかった。


 二〇〇八年九月二十一日(日)

 考えている話はとりあえず四部構成のつもりだった。が、四分の一である第一部をようやく書けた所で、色々と考えた上、第二部以外切り捨てる事にする。


 二〇〇八年九月八日(月)

 タイミングがいいといえば……調べたら、小杉さんのライヴがもうすぐあるんだが……それこそ行けません。


 二〇〇八年九月六日(土)

「私、今書いている話をhtmlファイルに仕上げたらアルバム買うんだ……」
 はい、フラグも立てたので、これで逃げられない。
 の前にエントリーしないと。
 しかし気合を入れすぎて、下書きを始めて一週間が経とうというのに、未だに序盤の上に登場人物全員、出せていない。どこかで通った道だなあ。

 「小山さんは舞台俳優さんなのか、そういえば舞台、最近観ていないな」とか、「京都のご出身なのか、そういえば京都も最近、行っていないな」とか思っていたら、家族から、
「京都でやる舞台、一緒に観に行かない?」
 と言われたのでたまげる。
 それで本日行ってきたのだが、京都はやはり独特の街だ。


 二〇〇八年九月五日(金)

 先日、「相棒」の亀山さんの話を知って、かなりショックが隠せない。
 まだ小野田さん途中退場という話だった方が悲しくないかもしれない。

 物欲とときめく気持ちの振り幅が、明らかにおかしい。ちょっとしたきっかけで物事が一つの事で一杯になり、物が欲しくてたまらなくなる。
 とりあえず自分を落ち着かせる為に、「ちょっと頑張れば手に入る物」リストを作成する。ipodとかPSPとかである。ずらっと並べてみてから、それぞれの値段を思い浮かべると、つい総合計を計算してしまうので、現実に目覚めるという仕組みである。
 …小杉十郎太さんのアルバム欲しいー!(目覚めろよ)

 とりあえず「宇宙英雄物語」の紅竜先生の御声を聴いて気を落ち着かせる。
 …落ち着くかー!

 現実は「うたわれるものらじお」関連商品を買い漁った直後なのでお金がありません。
 えー、メモリアルブックを拝見しましたが、参りました。


 二〇〇八年八月三十日(土)

 今日も文章を書い、てはまだいない。
 ぽつぽつ、早目に作っておこうかな、という話を書き始めているが、書いているとどうしても最近見た物、聞いた物の影響が出てしまって、己のただでさえ範囲の乏しい、書きたい物からずれていく。
 今回は書きたい物の範囲が、例えば冒険物が書きたいとか、5歳位の女の子が主人公の話が書きたいとかいう所広げていって決まるのではなくて、漠然とある「書きたい物の範囲」という枠におさまる、設定というパズルピースを探している、そんな感じだ。
 どうするかなあ、と思ってとりあえず放っておいたら、突然設定に「こうしたらどうだろう?」という化学変化が起きた。
 すると急に書きたい物の範囲にぴたりとおさまるからあら不思議。
 でもまだ不安はある。うまく最後まで書けると良いけれど。


 二〇〇八年八月十九日(火)

 どうしてだろう、というのを考えておかないといけない、と延々と考えたのだが、聞いていて幸せすら感じるのは結局、小山さんに対する柚木さんの立ち位置が、私の思う乙女の夢をほぼ全て叶えているからだ、と気付いた途端にようやく落ち着いた。
 少女でも淑女でもないのがみそである。後、私の思う乙女の夢を全部叶えるにはフォ(以下自粛)。
 それと柚木さんに対する小山さんの立ち位置が男の夢かは知らん。と男性側の意思は完全無視なのも乙女の夢だ。というかごめんなさい。


 二〇〇八年八月十八日(月)

 家族がパソコンを占領するので、特別盤から聞きました。しかも個別コメントから聞きました。気が短い。
 延々と聞いているけれど、聞いていて幸せになる番組だな。何でだろう。


 二〇〇八年八月十七日(日)

 という訳で早速「うたわれるものらじお」CDをひとっ走りして買ってきた。お店に最終巻しかなかったのでとりあえず最終巻をいきなり聞いている。私は結末を知ってからでないと恋愛小説が読めない人なのでそれでいいのだが(だから違うって)、
「どうしてパソコンでしか聞けないのかしら?」
 と思っていたらmp3ファイルでしかも全部合わせると10時間越えしていた。そりゃパソコンでしか聞けません。そして最初から聞いているので結末に辿り着きません。


 二〇〇八年八月十六日(土)

 先日、「仮面のメイドガイ」の最初のドラマCDを入手した。だって最初のドラマCDでのコガラシの声を担当されているのは玄田哲章さんなんですもの。
 シュワちゃんの声でご奉仕!ビバメイドガイ!(ご奉仕内容があれでも!)
 小山力也さんのコガラシも無論好きなので、ネットラジオを聞いたところ、以前から少し気になっていた「うたわれるものらじお」のCDが今度は欲しくなってきた。「うたわれるもの」のゲームもした事が無いのに。
 絶妙の追いかけっこっていいなあ。
 勿論、入手した暁には番組の内容を完全に鵜呑みにして聞く事にする。それがこの番組については正しく楽しく賢い聞き方だと思う。


 二〇〇八年八月十四日(木)

 ショパンの「夜想曲」を聞く筈が、気付いたらムゾルフスキー「展覧会の絵」を色々聞いている私はただのゲームブック好きである。


 二〇〇八年八月十一日(更新記録として書いたもの)

 今回の更新は結構あります。
 まず、実は数日前に行っていたのですが、作品一覧を整理しました。無責任ではあるのですが、ずっと放置したままだったエヴァとEVEの連載ものを全て未完という形で凍結し、下方に置く事にしました。ONE PIECEの「月の残香」も一回きりという形で。
 書きたい事も出したい登場人物も一杯いて、特にオリジナルのキャラクターは私が書かないと永遠に誰の目にも触れられない存在達なのですが、それでも、書かないままずっと放っておくよりは、と決断しました。
 続きを待ってくださった方には(いるのか?)申し訳ないのですが、こんな形で終わらせる事になって申し訳ありません。
 その内、続きはこんな風にするつもりでした、というのを書きたいと思います。もしも、「あれはどうするつもりだったの?」「あの登場人物はどうなったの?」という疑問がある方は、こっそり質問してくださったらこっそり答えさせていただきます。
 そうして長編を取り払うと、作品を全く書いていないのがよく分かって寂しい気持ちになりました。今後は真面目に書きたいと思います。

 次は、「ONE PIECE」の名台詞選を削除です。やはりするべき事ではないかな、と思いました。台詞を載せない形で、とも思ったのですがそれでは大変読みにくいですし。今後は個人でこっそり続けたいと思います。
 ちなみにデータだけなら結構最近のものまで作ってあったのですが、300話から400話まではウソップがルフィと同率一位でした。誰かがいつかルフィと並ぶか抜かす日が来るのかな、と思っていたら、それが他ならぬそげキングとは。後、きっと400話から500話ではブルックが二位になったと思います。ご多分にもれず私もブルックに骨抜きです。

 掲示板もteacupさんのものが少々見づらいものになっていますので、新しいものに変えようかな、と思っています。 ています。
 ハーボットのサービスが終了したのを機に、カウンターも無くしました。更新がない為あまり伸びていないので、まあ良いかと。カウンター設置開始日からサイトの開設日に戻したりしています。

 それからライブレポを作りました。七月二十一日の田中公平先生のライブです。レイアウトとか、もっと工夫したいのですが。それはこのサイトの全部にいえる事ですね。

 今回の更新は戒めとして研究日誌に残す事にします。(二〇〇八年八月十三日、移しました)


 二〇〇八年五月七日(水)

 うっかりフラグを立てた。
 今週末で今の会社を辞めるのだが、
「会社を辞めたら、とりあえず『相棒』の劇場版を観に行くんです」
 ……三十秒後、定型通りの台詞をもろに口にしていた事に気付き、心の中ですっ転んだ。
 土曜日の帰宅時、車に轢かれたりしないように気をつけよう。日曜の出発時も。


 二〇〇八年四月二十三日(水)

 姫路菓子博に行って来た。お菓子がいっぱい食べられると思った人は裏切られますので周辺のおいしそうなお店を見繕ってからお出かけください。私はロッテでもらったサンプルのお菓子しか食べられなかった。空腹のところへ、日本全国の菓子を紹介するパビリオンが暑すぎるのがあいまって倒れそうになったが。普通の売店はちょっと並んだだけで食べられるけれど。それでも並ぶのか。
 それでも展示は結構面白く、特に和菓子の工芸は圧倒されて、それだけで来た甲斐があったが。後、姫路城をあらゆる角度から眺められたし(それ菓子博の特典じゃない)。

 アニメ「二十面相の娘」第一話を観たが(関西では放映が遅いのである)、何て私の好みに合った話なんだ!原作を購入決定済である。原作を読んでやっぱり合っていなかった、という事にはなりませんように。


 二〇〇八年四月二十日(日)

 小路啓之「小路啓之作品集1」「かげふみさん1」(幻冬舎)を読み返す。乙女のいかれた純情を描かせたら小路啓之の右に出る者はいない。私のお気に入りは前者収録の「7.5Hz」だ。
 神楽坂淳「征服娘。」(集英社)を読み返すけれど、女には道が無い、なら世界を握ってしまえ、という一足飛びの発想がよく分からない。あらすじで受けた印象よりは女が女が、とは主張していないけれど、マリアが世界を征したいからそうする、で良かったのではないだろうか。
 男の作ったシステムに乗っ取って征服に乗り出したが、結局はシステムに踊らされていただけでした、というよくあるオチにならない事を祈る。
 お母さんがああなのは無知が唯一の武器だったからわざと、とかいう展開にはならないんだろうなあ。
 それと挿絵だが、少女の描き分けは完璧なのに、男の描き方が適当に思えるのが気になる。これから多分、中年以上の男性と女性も一杯出てくると思うので、大丈夫だろうか。とりあえずアンドレアのイラストが無かったのは可哀想なのでは。


 二〇〇八年三月二十二日

 瞳子おめでとう本を入手した。圧巻だ。

 ふと、自分の嗜好が気になり、こんなものを作ってみたらとんでもない量になった。これを作って気付いたが、私は「アクトレス」は男女カップルが好きじゃなくて、滝川さんだけが好きだったようだ。


 二〇〇八年三月二日(日)

 今頃、今野緒雪「マリア様がみてる 薔薇の花かんむり」(集英社)を購入する。去年はちょっと節約生活だったので、買っていなかった分を一月から月刊マリア様状態で買っているのだが、ようやくここまで来れた。
 これで瞳子おめでとう本を入手できる…!(←手段と目的が逆になっています)
 来週の「ONE PIECE」劇場版は、本が置いてある可能性のある某店の側の映画館へ行こう。今でも置いてありますように。
 もちろんローソンで買った前売り券の絵柄はチョッパーだ。
 ……オリジナルキャラクターの能力による、実は幻覚のオチじゃなかったらビビとカルーが可哀想だと思うのだが、どうなっているのだろうか。


 二〇〇八年三月一日(土)

 今回の矢沢あい「NANA」(集英社)を読んで、思わない人間はいないはずだ。
 タクミのアホー。(そこはかとなくネタバレのため伏せます)
 この話、あの世界から男がいなくなったら全ての問題がなくなってくれそうだと思うのは気のせいか。

 「百の世界の物語」(アスク講談社)の英語のファンサイトがあるのを知って感動する。猫の人の協力を得る為のかつおぶしが、普通に町で売られているのに最終ターンに近い頃にやっと気付いたのは私です。


 二〇〇八年一月二十七日(日)

 「ワンダと巨像」(ソニー・コンピュータ・エンターテイメント)で行き詰って一年ぐらい経つので、「最初はノーヒントでクリアしよう」と各サイトの皆様が主張されているにもかかわらず、攻略サイトを見る。
 「A→B→Cという順で巨像の所へ行ってみよう」と書いてあった。
 ……そこへどういう方法で行けば良いかが分かりません先生。

 攻略サイトにすら見放された私のワンダ君(と素敵な馬アグロ君)の将来の予定は未定である。


 二〇〇八年一月一日(火)

 あけましておめでとうございます。

 最近、「これから買いたい本のリスト」をエクセルで作成したら、あっさり七万円近くになった。
 勿論、「読みたい本リスト」は別にある。こちらは図書館が出来るとまでは言わないが、本屋は確実に開ける。地味に買おう。

 きくちいまさんの本を何気なく読んでから、着物の事が大変気になり、一度着てみてもいいかなと思ったが、よく考えてみれば浴衣もろくに着られない人間が何を言っているのであろうか。
 しかも高い。
 恐る恐る行ってみた呉服屋で、一式そろえると幾らかかるのか尋ねてみたら、あっさり二、三十万の金額が返ってきた。取りあえず、もっと安く手に入る事を心の中で誓って、お礼を言ってその店を去った。
 しかし私は知っている。この呉服屋さんは真っ当な店である事を。

 思い返せば成人式の前、我が家に送られてきたダイレクトメールについていたくじで帯の無料プレゼントが当たっていた為、母が、
「折角だから行こう」
 となったのでその近所の呉服屋(念の為、上記の呉服屋とは別です)に行って見た所、
「ご一緒に振袖もお求めになられないと帯はお渡しできないのですが、お仕立てになりますか?」
 店員の人が言ってきた。着物の事など何も知らぬ私に代わり、母が、
「はい、そうします」
 と返した所、「では取ってまいりますね」と一旦奥に引っ込んだのだが、
「すみません、もう大勢の方が来られたので、これだけなんですよねえ」  キャンペーンが始まったばかりであるのにそう言って、二、三の帯と、布とを見せた。
「で、お仕立て代などを含めまして、このような金額になります」

 先日行った呉服屋さんに架けられていた、仕立て済みの袷の方が、よほど高級且つ華やかに見えた上、提示された額は三十万近かった、と書くと、我々がどれだけ恐ろしい詐欺に遭いかけたかお分かりであろう。肝心の無料プレゼントの帯の質も言わずもがな。
 店を出てから数分後、
「お祖母ちゃんが既に用意していましたからと言って、断ろう」
 と言った母が、手を握ってきたその強さを今でもまざまざと思い出す。
 勿論、帰りに自宅近くの公衆電話で断りましたとも。
 その後、無事その呉服屋は潰れました。めでたい。

 まあ、そんな恐ろしい思い出も遠くになった事だし、取りあえず、浴衣でも一つ手に入れて、それに慣れる所から始めようかと思う。
 全部で五千円ぐらいで揃えられないだろうか、木綿の新品で(無理だ)。  本も欲しいし、プレイステーション3の積立貯金も始まったし、大変だ。


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