まだ始まらない

まだ始まらない




 女は走っていた。

 作戦は失敗だった。実行するまではいつも通り、下調べは十分に行い、進入方法から退却路まで、入念に準備していた。完璧だと思っていた。

 「何人仕留めた」

 「分からん。今、数えている」

 (うまく逃げられたらね、あたし、そのお金で弟に、つぎのない服をもう一着、送ってやれるのよ)

 店を離れるときに聞こえてきた言葉と、仕事に取り掛かる前に、仲間の一人が口にしていた言葉が頭に浮かぶ。

 しかし、全ては失敗した。

 原因は、・・・彼女達が狙った街を、海賊が襲ってきたのだ。


 その頃の女の生業は何だったのか、と問われると、海賊でも山賊でもなく、単に盗賊、と答えるのが一番正しい。

 仲間たちとは、それぞれ、とある繁華街まで流れ着き、一つの店で知り合った。ところが、ろくに素性も知らずに雇ってくれたと思っていた店の主の狙いは、それぞれの事情を探り当て、それを脅しの材料とする事によって、彼女らにただ働きを強いようとしていたのだ。

 気付いたのは、あまりにもの親切ぶりを怪しみ、わざと主に取り入っていた彼女だけだった。主は彼女の黒髪と、娘らしからぬ体つきに執心していたから、真実を探り当てるまで、常に側にいるのは訳がなかった。

 だが、真実がそうと知ると、話は早かった。彼女はそれぞれの理由で、まともな申し入れでは店を辞められない仲間に次々と言葉を吹き込んだ。とうとう、共同で主を殺して金を盗み、逃亡したのだ。

 以来、彼女らは山を越え海も越え、訪れた街から効率良く金銭を巻き上げては引き上げ、流れて行った。

 大海賊時代と呼ばれる現在、海軍は自分達の領域をうごめく海賊達への対応で忙しく、陸に逃げた賊まで手は回らない。陸軍の方は、元より海軍ほどの力は与えられていないから、海へ逃げれば追跡は不可能だ。両者の間をうまくすり抜ければ、まず捕まる事はないはずだ。

 彼女のそうした推測は正しかった。海軍が万年人員不足で、己の領域でさえ、うまく網羅できない事も幸いした。おまけに、支部同士の連帯は思ったより薄く、素早く行動の領域を変える彼女達の情報を、一つにまとめあげる事が不可能に近い事も後で知った。

 (これは、誰もが海賊になりたがるのも無理はないわね)

 次々とおさめる成功に喜ぶ仲間を横目に、しかし彼女はそんな事を考えていた。他の仲間よりは身軽だったし、金にも執着を感じなかったからだろう。

 彼女は支えであり、他の仲間全員は、彼女の主である、という事を、常に己に言い聞かせていた。実際には、仕事の方法を考えたのも、指揮を取ったのも彼女だが、それを恩に着せて逆上されるのを避けたのだ。方法はどうあれ、彼女らが望むものを手に入れて、喜んでいるのなら、結構な事ではないか、と思っていた。

 居心地は決して悪くはなかった。しかし、それも終わった。


 走りながら、彼女は逃げる算段を考えると同時に、この海賊の手口を目の当たりにしていった。

 まず、昼間ではなく、寝静まった刻限を狙っている。奇襲がしやすいのと、眠りから目覚めた直後の人間は、普段通りの力が出にくいことからだろう。

 襲いかかる方向も、海からではなく、街を出られる三本の道から港にかけて攻め、道の終着地点には、襲撃まで近場に潜んでいたらしい帆船が待っている。

 襲撃されているにも関わらず、道を時折灯りが横切る程度で、全く炎が上がらず、悲鳴と、何家を破壊する音だけが響いてくるのも無気味だった。下手に火事を出すと、近隣の町に知られ、海軍が出動するからだろう。この分だと、物見櫓や電伝虫は、あらかじめ抑えられているに違いない。

 そうした一つ一つの手段に、感心する以上に驚いていた。あまりにも周到だからだけではない。以前から彼女が考えていた、海賊として一つの町を襲撃する場合、どうするかという方法と酷似していたのだ。

 (突破口はどこかしら・・・)

 裏道を走り、建物の間をすり抜けながら、今、襲っていた店での光景を思い返していた。

 ある程度、規模の大きな街なら、必ずあるのが高利貸しの店だ。おまけにそういう類の店は、大抵、町の片隅でひっそりと存在しているのが常だった。

 彼女と仲間は慎重に仕事を進め、ようやく主が隠していた金庫を探し当て、金と宝石を、正に持ち出そうとしていた。

 外で見張りをしていた彼女が、道の向こうに、不審な灯りを見出したのは、その時だった。

 (様子がおかしい。すぐに撤収せよ)

 即座に合図したのと、店が多数の海賊に囲まれていたのを察したのはほぼ同時なので、仲間は無事に逃れられたか、分からない。

 今分かるのは、とにかく、この事態を脱さないと、未来はない、ということだけだ。

 「女がいるぞ!そこの酒場の裏だ」

 辺りに響いた声に、彼女は自分のうかつさを呪った。海賊は、物見櫓を抑えただけではない。各所に、逃亡者を発見するための見張りを立てていたのだ。

 街の地図は頭に入っていたから、この時点で海賊に囲まれたら、逃亡できる可能性があるのは、東の路地だけだというのは分かっている。

 そして、自分が海賊の側ならば、・・・

 一旦、女は立ち止まった。腰の得物に手をかけながら、そのまま悠然と東の路地へ出て行く。

 「いい度胸だな、娘さん」

 瞬く間に、三方を海賊が囲んで行くのが気配で分かった。まさに狼の中の羊、という状況で、そのどこかから口笛の一つがかかったとしてもおかしくないというのに、まったくそうした反応はない。

 そして、声がかかった正面には、一人の男がいる。灯りは持っていないらしく、姿はおぼろげな輪郭しか分からない。

 「大人しくしていれば、命だ、っ!」

 命だけは助けてやる、と言おうとしたのだろう男の言葉を、最後まで待つ義理はなかった。身につけていた鞭をひらめかせると、男の足に絡め、その勢いで引いてやる。

 男の体がよろめく。彼女は駆け寄ると上から勢いをかけて、不自然な角度で倒す。

 鈍い音がしたのに、顔と下腹部も踏みつけると、正面はがら空きとなった路地だけだ。

 眼前の出来事に、一瞬だけとはいえ呆然となった海賊達の手をすり抜け、まんまと闇の中に紛れる。

 そのつもりだった。

 突然、首に何かが引っかかった。

 「まさか、あいつをあっさりと倒してしまうとはな」

 人の腕だ、と気付いたときには、後方から伸びていたそれに締め付けられたまま、宙吊りの状態にされている。

 「ほら、見ろよ」

 そんな状態だから、相手の容貌などろくに分からない。声の主は、もう一方の手と足とで、難なく彼女の動きを封じつつ、今、彼女が駆けてきた方を向かせた。海賊達の明かりの中、一人の男が倒れたまま、体をひくつかせているのが見える。

 「可愛そうに、一度に骨と顔と、大事なところまでやられちゃあな。女だから分からんだろうが、ちっとは加減してやっても良かったろう」

 答えようにも、息が詰まっていて出来ない。男はそのまま、仲間のところまで彼女を連れて行くつもりのようだった。

 「あの位置で発見されて、東の路地に行けば相手が最もでかい罠を用意している、と考えるのは正解だ。そしてそれが相手側の猛者だった場合、そいつを倒せば、相手の裏をかける、というのも」

 朦朧とした意識の中、男は耳元で語りつづける。

 「だが、海賊の襲撃に気付けなかった時点でさとるべきだったろうな。相手は、更にその裏をもかけることを」

 そして、意識はそこで途切れた。


 息苦しさに、唐突に視界が開けた。

 次に感じたのは、寒さだった。薄着の上、水をかけられて目を覚ましたようだ。

 彼女は顔を上げた。

 空を、日の出の直後にしか見えぬ星が瞬いている。手足を縛られてはいないが、それも同じだった。武器は当然取り上げられており、周囲をぐるりと海賊に取り囲まれている。

 何よりも、木の床と、それが絶えず揺れていることが、現状の絶望を何よりも告げていた。

 ここは、彼らの船なのだ。

 「さて、者ども」

 ちょうど、顔を上げた正面にいた、一つだけ用意されている椅子に座っている男が、彼女と視線と合わせると、笑みを浮かべ、そう叫んだ。

 「この女は、仲間と金と宝を掠め取ろうとした上、俺達の仲間の一人に怪我を負わせた。仲間は全員始末した今、この女の処分をどうするか」

 (ああ、彼女達はやはり殺されたのか)と頭のどこかで思いながら、目の前の男の、横に広がった顔を覆うむさくるしいひげや、折れ曲がったままの鼻、そして顔から判別できる年齢にはそぐわない、見事な体躯に目を走らせる。

 確かに、一度見れば忘れないだろうし、場の中心を占めるに相応しい雰囲気を持ってはいたが、彼女はその声と背格好を認めると、今はこの男から意識をそらした。

 さすがに不審がられるので、周囲を見回す事は出来なかったが、正面にいる男達には視線を向ける。しかし、彼女の求める存在はいない。

 あの男は。

 「殺してしまえ!」

 誰かの叫びに、彼女は想念を一時的に中断させたが、慌てはしなかった。

 「このまま、海に飛び込ませてやれよ。神様のご加護とやらがあれば、陸に辿り着くかもな」

 「次の街で売り飛ばすか?」

 椅子に座っている男をそれとなく観察すると、仲間の反応を楽しんでいる、というだけで、そのどれかを取り入れる、というわけではないようだった。

 彼女は声をたてて、笑って見せた。目の前の男を含め、何人かの目が自分に集まるのを感じると、すかさず声を上げる。

 「惜しいわね」

 「ああ?」

 誰かがとがめたが、正面の男が手でそれを制する。感謝の視線を彼に向けながら、手を頬にあて、体をくねらせた。そうすることで、己の容貌が引き立つのを、彼女は熟知していた。

 「私を手放せば、あなた達の主は、自分の船をより大きくし、部下に今以上の富を手に入れさせる機会を、永久に失うでしょうから」

 つばを飲みこんでさえいた男達は、その言葉を聞いた途端にいきり立った。

 ふざけるな。お前に海賊の何が分かる?財宝の在り処が描かれた地図でも持っているというのか。・・・

 だが。

 「その女の言う通りです、船長」

 その一言で、彼らの罵声は見事に止んだ。その場にいた全員が、その人物に注目しているのが分かる。

 振り返った視線の先で、仲間の中をかき分けて、一人の男が出てきた。顔立ちは、一重の平たい目と、刀で切り取ったかのような横に長い口を持っている。爬虫類の腹を思わせる鎧を着、その長身を覆うように、袖にだけ白の線がある、黒い毛皮のコートを肩から羽織っていた。

 何より、人の目をひくのは、顔の中心を横に奔っている傷跡と、左腕の巨大なフックだった。

 誰に言わなくても分かった。

 あの男だ。

 「この女に質問をしてよろしいでしょうか」

 あの時とは違い、殊勝な態度で尋ねる男に、椅子に座っていた男、・・・船長はおおらかに頷いた。男は「ありがとうございます」と礼をすると、頭を上げる。

 「その前に、三番隊に聞こう。お前達が最初に襲った高利貸しの店はどうなっていた」

 その質問に、船長の側にいた、一人の男が進み出た。

 「六人、そいつの仲間らしい女がいたが、中に入ってみるまで、賊がいるだなんて気付かなかった。他の人間は全員、気を失っていた」

 「気を失っていた人間どもの状態はどうだった」

 「全員、寝床に置かれていたな。家は静かなものだったし、多分、女たちがいなかったら、ちゃんと調べるまで、気絶させられたと気付かなかったんじゃないのか」

 「そうだ。そこでだ」

 男は彼女の正面に回ると、しゃがみこみ、彼女のあごを捕らえ、正面から向き合わせた。

 「正直に答えろ。高利貸しを襲う仕事の段取りを考えたのは」

 「私よ」

 一部の人間がざわめいた。恐らく、三番隊とかいう者達だろう。

 「あの女達、元は素人だったんだろうな。それを、あれほどの腕までに仕立て上げたのも」

 「そう、私」

 「準備を整えたのも、調査の指示を出したのも、仕事を実行する際の指揮を取ったのも、お前か」

 「ええ、その通り」

 「そうだ。おまけに、考えてみろ」

 一旦、男は顔を上げ、仲間達を見回す。

 「更に、この女は二番隊の追跡をかいくぐり、一番隊の隊長を倒した、という訳だ。そんな芸当が出来る人間が、俺達の中でも何人いる?」

 今や、全員があれやこれやと言葉を交し合い、船長でさえも、丸い目を更に丸くして彼女を見下ろしている。

 男は彼女から離れつつ立ち上がった。まず船長に向かって頷き、それから仲間に向かって両手を広げる。

 「俺達はこの女に、大した被害を受けたわけではない。奪われた宝は取り戻したし、怪我もいつかは治る程度のものだ。それぐらいの理由で、これだけの存在を海に放り投げてしまうのは、あまりにも愚かというものではないのか?俺達は寛大な紳士で通っているはずだし、それに」

 笑い声が所々漏れてくる中、男は、少しだけその目を細めると、その太い指を伸ばし、彼女の髪をそっと撫で上げた。

 「俺達の船長の好みを、まさか忘れたんじゃないだろうな。若い女だ、黒髪の」

 おどけた調子で出た言葉に、たちまち場は笑いの渦となった。船長も、苦笑どころか、自ら大声で笑っている。彼はようよう笑みをおさめると、

 「どうだ」

 と、彼女に語りかけた。

 「選ばせてやろう。今すぐ海へ飛び込むか、それとも、俺の下について、働いてみるか」

 答えは決まっていた。それなのに、何故か頭をよぎったのは、彼女の死んだ仲間を始末する、彼らの声だった。

 船長の足元へ向かい、手をつき、頭を垂れる。

 「仲間に入れてください、お願いいたしします」

 そして、他の誰よりも、仲間の中に再び隠れただろう、男の視線を感じたのは何故なのか。

 「よし」

 しかし、船長は彼女の心中など、知る由もなかった。

 「部屋は俺の隣の個室を用意させる。そして、しばらくは参謀長の下で働け。今の男だ」

 今や、彼女が頭と仰ぐことになった存在の命を聞きながら、彼女はますます頭を下げた。


 浴室に入らせてもらった後、乾いた服を与えられた彼女がその個室へ行ってみると、当たり前だが、今の今まで、誰かが使っていたのだろう。海賊船の一室とは思えないほどに整理され、掃除の行き届いた部屋だった。

 何も入っていない本棚と、クローゼットとが壁の一角を占めている。クローゼットを開けてみると、一目で彼女の体に合うと分かる、高級な服がいくつか入っている。

 今着ている服は簡素過ぎるので、後でこの中のどれかに着替えて、船長との食事に付き合うよう、言い渡されている。

 どれにするか悩んでいると、ノックの音がした。許可を出すと、入って来たのは、あの男だった。

 しばらくの間は、船長か、この男を伴わない事には、船内を動いてはならない、と言い渡されていた。

 「船長がお待ちだ」

 「すぐに参ります、とお伝え下さいませんか」

 そうして、ようやく候補を三つまでしぼれた服の山に目を戻す彼女に、一旦去ってくれると思った声がかかる。

 「この部屋は、居心地はいいが、一つ欠点があってな。ベッドが取り付けてあるから、嵐が来たら、本棚やクローゼットから身を守る場所がない」

 服を置き、そちらを向くと、男は目の前に立っていた。

 「あなたの部屋だったんですか」

 「本棚とクローゼットを一新させるのは大変じゃない。問題は、それを短時間でやらなければならなかった」

 と、彼女が置いた服に目を向けるとすぐ横まで歩みより、

 「これがいい」

 その内の一着を取り上げた。受け取りながら、彼女は頭を下げる。

 「ありがとうございます、参謀長」

 「クロコダイルだ」

 男に教えてもらって初めて、彼女にしては珍しく、知らなかったものを知っていたかのような錯覚にとらわれていたことに気付いた。彼女は彼の名を知らなかったのだ。

 そして、首を横に振る。

 「いえ。はっきりと上下の区別はつけるべきですから。あなたの部下である以上、参謀長とお呼びします」

 船長との食事がある、といっても、それだけで済まされるとは信じていない。そうしたことを踏まえた上でも、微妙な呼び方による混乱は避けたかった。

 クロコダイルも、それは十分に察していたようだ。「ああ、そうだな」と頷くと、

 「では、さっさと服を着替えてくれ、・・・」

 「オールサンデー、とお呼びください」

 どうやら、彼の方も、彼女の名を知らぬことを忘れていたらしい。口を開いたまま目を泳がせていたところへ、彼女は答えた。

 彼は「ああ」と頷くと、彼女の顔を見やる。

 「暗号か」

 「はい、仲間内のです。他の者もファーストマンデーや、セカンドサタデーなどと名乗っておりました」

 「成る程、分かる奴には、お前が中心人物だと分かる仕組みか」

 「はい。でも、仲間は誰も気付きませんでしたが」

 快活に頷いたのに、クロコダイルは笑いながら扉へ向かう。開けかけたところへ、声をかける。

 「一つだけ、お聞きしてよろしいでしょうか」

 「何だ」

 「あの街の襲撃の指揮を取られたのは」

 「俺だ。準備から、退却に至るまで、全部考えた」

 彼女は目を伏せた。

 「そうだろうと思いました」

 しばらくの間、視線が注がれているのを感じた。やがて、「着替えたら知らせろ」と告げられ、扉が開く。

 「では、ミス・オールサンデー」

 閉まる音と共に、部屋にいたとき、遂にクロコダイルは彼女に指一本触れてこなかったのに気付いた。その理由も。

 それが物足りないと、思ってしまったのだ。




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