月の残香 一

月の残香

 




 闇夜だった。月はすでに水平線の彼方に消え、瞬く星も雲にかくれて見えない。

 灯台の光が二度瞬き、しばし時を置いてから再び瞬く。同時に見張り台から、「参謀長」と声がかかる。

 「二番隊から、準備が完了したとの知らせ」

 「分かった」

 知らせとはつまり、今の灯台の光だったのだが、「見えていた」とは言わない。彼は甲板の縁から離れると、もう一方の縁へと歩いていった。

 そこに至る間での空間には様々ななりをした男達がひしめいている。彼らの共通点は只一つ、寸鉄を帯びているということだった。彼らの視線を一心に受けて、彼はもう一方の縁にいる男の元で足を止めた。

 横に長い顔をひげが覆い、折れ曲がったままの鼻と釣り上がった三白眼が目につく、異相の男だった。その佇まいは屈強の男達の中でも人の目を引きつける程にたくましい。

 「船長、突入の準備、全て整いました」

 そう告げると、男、・・・彼ら、海賊団を率いる船長は鼻を一つ鳴らして、

 「聞こえたさ」

 そう吐き捨て、甲板にいる部下たちに向き直った。

 「いいか、焦って金を取り逃すんじゃねえぞ。取り分を巡ってのいさかいも無しだ。何、目の前の全ての建物が相手なんだ、時間も盗れる物もたんとある。ぬかるなよ、行け!」

 最後の一言が発せられた途端、呼応と共に甲板上の人間は一斉に動いた。大半の者は船から垂れ下がるロープを伝って港に降り立ち、散っていく。

 やがて、街の中に数えるほどにあった明かりが消えていく。一つの街を略奪の対象とする、というような大規模な計画は彼にとってもめったにないことなので、気を抜くことは決してないが、それでも発動した途端に彼の中からこの街に対する興味が消えうせていくのを感じていると、最初の悲鳴が船まで届いた。


 順調に計画が消化されて行く報告に混じって、一つの連絡が入ってきたのはそれからすぐのことだった。

 「すいません、参謀長。三番隊がこそ泥に会いまして、あらかた仕留めたんですが、一人逃したそうです」

 連絡役の報告に舌打ちする。一体、どんなくだらない報告が来るかと思っていたが、くだらなくはない代わりに良くもない。

 一つの街のすべてを略奪の対象にする場合、大切なのは周囲の街と海軍とに気付かれぬよう、迅速に行動すること、ただそれだけだ。

 つまり、他の街への逃亡者を出してはならないのである。逃げおおせたものは、余程己の身にやましいものが無い限り、何らかの方法で海軍に襲撃を伝えるだろう。

 海賊の襲撃を聞いて出動しない海軍はいない。元々海軍と戦う計画だったのならばともかく、計画外の一戦で無駄に戦力を消費する訳にはいかない。

 「どう逃げて行ったのか、最初から言え」

 ランプを掲げさせた下で片手で地図を広げる。連絡役はランプを持っていない方の手で、

 「高利貸しから三本目の角を曲がりまして、この路地に入りました」

 と、逃亡者の動きを追い始めた。平面でなぞられたそれは、拍子を取るようだったかと思うと渦を描き出し、最終的には一周するのに百歩も要らない空間で蜂のようにうごめいた後、消えうせていた。

 「逃げた奴の身体の特徴は」

 「人並より頭半分は高く、細っこい。髪の色は黒か近い色、年の頃は分かりませんが動きは相当すばしっこかったとのことです。後、奴じゃありません、女です」

 最後の一言は、彼には予想される逃亡経路の候補にいささかの変更を行わせたに過ぎなかった。まだこの時は。

 眼下の地図を睨みながら思考を巡らす。彼にとって、略奪とは準備時の膨大な下調べや計画の捻出、そして船員に計画内容を徹底して叩きこむことが全てで、実行とは、若干の修正の必要に迫られた時を除けばさほど頭を使わずに済む、余禄に過ぎない。襲撃が始まった途端、目の前に広がる街への興味が消えうせたのもその為だが、今、彼の中には別のものへの興味が湧いてきた。

 彼は、例え自由を重んじる海賊といえども、組織を形作る以上は確固たる命令系統が整っていなければならないと思っていたし、船長も同意見だったので、船員共はこの予想外の闖入者に対して、命令通りに追い詰めようとした筈だ。今、連絡役の示したのは逃亡者の動きだけだが、彼の脳裏には逃亡する女と、それを追い詰めようとする部下たちの様子があった。

 そしていつしか、彼は女として街の中をさまよっていた。女は共に仕事をしていた仲間から離れることにためらいは無い・・・それが冷酷さから来るものか、それとも麗しき信頼とやらの為かは判断がつきかねたが・・・。部下たちから逃げ切っている以上、状況把握と臨機応変ぶりも優れている。おそらく、彼女も部下に姿を発見された高利貸しの店で仕事をする以上、店の間取りから街の地図まで、完全に頭に叩き込んでいるに違いない。ひょっとしたら、それは彼のそれより詳しいものかもしれない。

 女についてのいくつかの推察が浮かび上がってくるにつれ、彼は一旦、それらを片端から否定しようとした。相手を過大評価していないかと考え、次いで、用心はし過ぎるぐらいが丁度良い、と思い直し、地図を持っていない方の、手首から先がかぎ爪となっている手で、地図のある点を指し示す。

 「二番隊の人間から五人、この位置へ向かわせろ」

 主に他の隊の援護役を務める二番隊には、それだけの人数を割けるぐらいには数に余裕がある。連絡役は一度、彼の命令を復唱した後、再び港へ降りて行った。

 「よもや、わが船が誇る参謀長殿の優れた計画が、一人の女に破られる、なんてことは無いだろうな」

 浴びせられた挑発的な声に彼は佇まいを正すと、船長に向き直った。

 「一人の女だからこそ破れる可能性が出て来ますよ、船長。彼女らは我々のように身体が大きくないし、固くもない。思いも寄らぬ隙間を通り、くぐり抜けることが出来るかもしれません。更には件の女は今、群れていない。最悪でも、我々をやり過ごすまで隠れられる穴蔵を見つけることも困難じゃあありませんよ」

 「でもお前は、見つけてしまう、か」

 「当然です」

 即答すると、船長は満足そうに一しきり笑った後、目を細めた。

 「船の指揮はどうとでもなる。女はお前が持ち帰って来い。自分の計画を打ち破ろうとしている者に、興味が無いとは言わせんぞ」

 流石にこれには彼も虚を突かれた。表情にはおくびにも出さなかったが、言葉を一つ一つ、やっとのことで吐き出す。

 「しかし、今頃は二番隊と三番隊が仕留めたでしょう」

 「何だお前、そこまで熱い信頼を寄せていたのか」

 いいえ全く、と首を振らず、彼は軽く頷いた。

 「では念の為、ということで参ります」

 「そうか。楽しみにしているよ」

 また笑い出す船長の姿に、ようやく思い出した。黒かそれに誓い色の髪、平均より高い背、細い体、全て船長の好みの容色ではないか。

 船長は、女をご所望なのだ。

 一礼し、背を向けた彼に、更に声がかかる。

 「おい、クロコダイル」

 「はい」

 「外すんじゃねえぞ」

 「はい」

 歩きながら腹に手をあてると、無数の鉄が重なり、音を鳴らす。いつまで経っても固い感触は消えない。


 しかし港に降り立ち、街中を進む彼にもたらされたのは、思いもかけない報告だった。

 「逃したかもしれません」

 「余計な口を叩くな」

 元より青ざめていた連絡役の顔は、彼の一喝で更に白くなった。もっとも、己の職分を完全に忘れて推測のみを口にしている方にこそ問題があることを思い出したらしい。表情だけは常と同じく引き締まった。手短に現状が告げられる。

 件の女は、彼が何重にも仕掛けた網の目をするするとかいくぐっていた。その尾を踏みつけるつもりが、尾の先を目にとめるのがやっとだった、というところか。

 「一番隊に連絡を取れ」

 この船は五つの隊に分かれている。内、五番は灯台等の、この街の他の街との連絡手段を絶つ役割を担い、六番は手に入れた宝の、船への積み込みと見張りを行っている(四番は欠番)。一番隊も出すということは、現在、街で作業を行っている人間の全てが、たった一人の女のために動くことになる。

 これまで以上に細かい指示を出す。先刻船長に語った通り、人間一人を大人数で捕らえるというのは、虫を捕らえるのに大鍋を用いるに等しい。骨身の折れる割にうまくいく確率は低い。かといって、丁度良い虫取り網となるような、目端の効いた部下はこの船にいない。勿論、完璧なそれなど無いのは分かっていたが、それでも起こすべき物を倒し、地面に埋めるべき物を遠くへ放り投げてしまう人間に囲まれていると、かんしゃくをぶちまけるより仕様がない。

 かんしゃく、つまり自分は怒りを感じているのか、と第三者のように己を見やる。

 原因は先に挙げたことだけではなく、多様である。しかしそれを向けるべき方向は定まっていた。

 「標的がこの路地へ向かったのを確認次第、三番隊は持ち場所を離脱、元の作業に戻れ。一番隊ももし抜けられるようなら、誰か一人、いいか、一人だけ向かわせろ。必ず捕らえられる人間をだ」

 こう念を押しておけば、血の気の多い隊長が自分でその路地に向かうのは目に見えている。責任ある身になった分、かつてのように遠慮なく己の力量をふるえる機会は外すまい。そして、そのような性分がまだ許されるほど、隊長の力はこの船でも群を抜いている。

 「では、行け。俺は姿を消す」

 突然の宣告に、連絡役は問いただそうとしたのか、口を開きかけたところで背を向けて無視したので、結局、声はかけてこなかった。

 破壊の騒音も彼の進む場所では遥か遠く、目的の位置に着くまで、人一人として会うことはなかった。

 街の外れにある、一本の路地である。そして一番隊の隊長が待機する地点の先に、彼はいた。

 例え闇夜でも、多少目が慣れれば、走るのも困難ではない。しかし彼は部下に灯りを持たせてある。女の目が光に慣れてしまうのは明白で、万が一、一番隊の隊長を倒すなりかわすなりして逃れたとしても、その先の闇を走るときは、体が一瞬、速度を緩めてしまうだろう。本人の意思とは関係なく。

 その瞬間を見計らって、彼自身が捕らえる。

 部下の誰かが捕らえれば、彼は自身の手を煩わすことはない。しかし彼は件の女が、必ずくぐり抜けると心のどこかで思っていた。期待ではない。件の女ならそのぐらいのことはしてもおかしくない、と見定めただけだ。

 やがて喧噪の気配が近寄ってきたのに、自分の読みが外れなかったのを知って歯噛みした。推測通り女が部下達の包囲を突破してきたということは、ここまでの彼の手配をすべて打ち破ったということでもある。面白い訳がない。

 その内に路地の先に光が射し、彼の良く見知った顔、一番隊の隊長が姿を現した。

 ほぼ同時に、更にその先から影が飛び込んできた。

 この時には積まれた箱の影になる場所に潜んでいたが、それからの攻防を観察できる程度の余裕は残されていた。遠目から見ても、隊長の油断と影の抜け目なく隙を伺う様子は明白だった。一瞬にして隊長は鞭に足を絡み取られた上、転がされた表紙に腕の骨を折ることで、油断の代償を支払わされた。そこまでは彼の予想の範囲内だったが、更に影が体と顔を踏みつけて駆け出したのには、呆れた。次いで、その容赦なさに笑い出したくなった。

 おそらく、自分の表情は本当に笑っているだろう。そう感じながら、今まさに目の前を通り過ぎようとする影へ、腕を伸ばす。


 影、いや女が完全に気絶したのを確かめると、担いで、迫り来る光の方へ歩を進めた。

 「誰か縄を渡せ」

 向けられたいくつかの殺気は、そう呼びかけるとすぐに消えた。代わりに「参謀長」と声がかかると同時に、部下の一人が縄を手渡してくる。彼は女を地面に下ろすと、家畜を解体するように女の服を剥ぎ、手足を縄で縛っていった。その間、一番隊、二番隊は元の作業に戻り、一番隊隊長は船に戻って治療を受け、その間隊の指揮は副隊長が取るように、と支持を出していく。当然、いくつかの好奇の視線が女と彼とに注がれていたが、彼の態度は余計な口を挟むことを許さず、それぞれの作業に戻らざるを得ない。

 そうして、彼はようやく、女を観察した。

 その白い肌は恐らくよく見ればいくつか傷跡があるのだろうが、ランプの灯り程度ならば問題にならない。唇を覆う黒髪は艶があり、どうかした拍子に触れると、一瞬指先に絡まってから流れ落ちる。肉付きも申し分ない。顔立ちも整っている上に立体的だ。高い鼻と肉厚のある唇が目を引く。

 白い瞼に目をやる。もしそこが開けば、どのように意志の籠もった瞳が見られるか、と思わせた。

 余分な縄を切り取ったところで想念を止めた。抱え上げ、船までの道を戻っていく。

 来たときとは違い、今度は船に戻るにつれ部下とすれ違っていく。そのほとんどが彼の腕にある存在に目を奔らせる。もし彼が任務中の私語を許していたら、そのほとんどが興味と疑惑とを持って話しかけてきたに違いない。

 腕の中の女は身じろぎ一つせず、ただ、船に上がり、彼の船長の目の前に下ろされたときに、微かに声をあげたのみである。ある種のふてぶてしささえ感じられるその姿態を、船長は睨め下ろした。髪の先から足下まで、ゆっくりと視線を動かし、再び髪の先へ戻していく。

 「いいな」

 濡らした口が段々と横に引きつり、やがて笑みとなる。

 「いい」

 頷き、彼の胸を軽く小突いた。

 「ご苦労」

 「我々を舐めてかかった女です。今すぐ喉を裂くなり、なます斬りにするなり、ご自由に」

 「阿呆」

 「はい」

 船長とて、彼が己の意図を分かっていながら進言してきたことぐらい承知しているだろう。もっとも、煮たような状況で何度か真に受けて手にかけたこともあるが、それでこの船が窮地に陥ったことも、両者の関係に亀裂が入ることもなかった。

 それでも船長は彼の正面に立ち、足を踏みしめる。手が、剣の柄を握ろうとうずいていた。

 「何を言いたいんだ」

 「この女、俺の下に置きましょう」

 しばらくの間沈黙が下りた。不意に手が伸びてきて、くわえていた葉巻を手の平で掴まれる。

 異様な音を立て、炎ごと葉巻が握り潰された。

 「説明しろ」

 「この女は海賊としても十分に使えます。頭の回転もいいし、腕も立つ。船長も、この女の手並みは聞かれたかと」

 船長は再び女を見下ろした。二人の視線の中、女は寝息も立てない。髪が潮風で乱れ、顔を覆い隠している。

 「ああ、聞いた」

 「時々部屋の外に出してやれば、いつでもここを抜け出せると思い込ませることも可能です。かといって、本当に手の届かなくなる恐れのある隊に入れさせるわけにもいきません」

 「逆に、入ったなりに俺の下に置くのもまずい、と」

 「はい。特に、一番隊の奴等は反発するでしょう」

 隊長の出鼻をくじいた人間を仲間とするなど、誰も承知したがらないだろう。更には一番隊は戦闘時に相手の船長の首を獲るなど、荒々しい仕事を任されることが多く、その為に隊全体が独特の結束を固めている。船長も彼も、下手に怒りを煽るようなことはしたくないのが現状だ。

 「後で芝居を打つか。お前も適当に調子を合わせろ、出るときを間違えるな。では残りの作業を行え、丁度積み荷の残りが十を切ったところだ」

 吐くと共に、掴んだままの葉巻の屑を「無駄にして悪かったな」と手渡してきた。灰が木の床に落ちぬよう、懐中の屑入れにしまい込む。

 そして、彼は礼をし、残りの作業をすべく背を向けた。女の方は見なかった。




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