第四話 タウンアローン






 そこは、高層マンションに囲まれた、学校の運動場だった。

 「はい、一班のみなさん、昼食ですよお」

 その声に、あちらこちらで、何かしらの作業をしていた人達・・・三百人はいるだろうか・・・の一割ほどが校舎の裏側にいく。

 給食室の前に山と積まれたおにぎりとパックのお茶が配られていった。皆、割り込むことなく、整然と並び、それぞれに話し込んでいる。

 食事を配っているのは二十人ほどの老若男女さまざまな人達で、どの人も三角巾とエプロンをつけていたが、中心となっているのは、二十をいくらか過ぎたぐらいの、一人の男だった。

 背は多少低めだが体格はしっかりしており、腕が心持ち長い。角刈りの髪の下の眉は太く、顔の彫りが深い。これで肌が日に焼けていれば体育関係か、漁業関係の人間と思われたが、色白とまではいかなくても大して焼けている様子もないので、今一つ、職業のよく分からない人間である。

 が、愛想良く食事を配っている様子からは怪しい雰囲気も見られず、ごくごく普通の真面目な好青年・・・青年、というには少し、とうがたっているかもしれない・・・だった。

 「がんばってるわねえ、陸奥君」

 声をかけてきたのは、髪をアップにした、三十代も後半だろう女の人である。このご時世だというのに、上品に化粧をしており、その信念の高さが伺えた。陸奥は笑みを崩さずに、彼女に言った。

 「ああ、原さんも昼食ですか」

 「そう。働き詰めでしょう。一緒に休憩しない?」

 陸奥からおにぎりを受け取りながら、原はきいてくる。陸奥が頷くのもいつものことだ。

 脇にどいた原は、陸奥が交代してもらうのを横目で見ながら、うまそうにおにぎりを頬張りつつ言う。

 「陸奥君、おにぎり握るの、上達したじゃない」

 「握ったのは僕だけじゃないですよ」

 「どおりで、進歩が早すぎると思った」

 「・・・原さん。僕をけなすためにいるのなら、あちらで食べてください」

 「可愛くないわねえ。そんなことだから、いい人が見つからないのよ」

 「原さんでさえ、いい旦那さんを見つけることができたのですから、気長に待ちますよ」

 原の夫も、ここで作業をしているのである。かつては大学の同級生で、子供はいないということであった。

 「無理ね。私たちのように運命的な出会いをするには、よほど幸運でないと」

 「旦那さんの方から見ると、不運だったりして」

 「いつも言ってくれるわよ。僕が君と出会えたのは、まさに奇跡だって」

 「はいはい。結婚十ウン年目の夫婦が、惚気ないでください」

 「あら、惚気はいつ言っても気分の良いものよ。特に、独身の人にはね」

 笑う(「おほほほほ」ではない。「くくくくく」なのである。着ているものが黒のパーカーなので、まるで魔女だ)原に、陸奥は何も言わなかった。彼女がこうして陸奥をからかうのは、いつものことである。というより、からかってからでないと、彼女の話は本題に入らない。

 すぐに原は笑うのをやめ、「ところで」と、口調を真面目なものに切り替えた。

 「薬が足りなくてね。岩村さんが、すぐに取りに行って欲しい、って言ってるのよ」

 原は医療係の一人である。岩村さんとは、そこの中心者だ。

 「やっぱり、足りないのは包帯関係。みんな、よく怪我するから」

 「上の病院の分では、もう足りないですか」

 「ええ。だから、薬局を探して、少しずつ集めるしかないのよ」

 それを聞いて、陸奥はため息を吐いた。

 「まったく、あちらこちらから物を失敬しなければ生き延びられないなんて」

 原は、微笑んで答える。

 「最初はしょうがないわよ。誰もこんな事態になるなんて、思いも寄らないもの。大丈夫、ここで踏ん張れば、いつかは失敬しなくて済むようになるわ」

 「分かってます。分かってますよ」

 「たった一週間で、私たちをここまでまとめあげたのは君なんだから。もう少し、自信を持ちなさいね。というより、リーダーが自信喪失に陥った集団の末路は、悲惨なものよ」

 「それも、分かってます・・・」

 「じゃあ、気分転換に、散歩でもしない?」

 「・・・それって、荷物持ちについて来い、と?」

 「あら、私の腕は二本しかないのよ。君が来てくれれば、なんと、もう二本増えるんだから。それとも何?女一人に、誰もいない所を歩けと?ない。君に限って、それは断じてないはずよ」

 まるでテレビの通信販売の番組のような言葉に、陸奥は、先程より、深く深く、ため息を吐いた。

 「了解しました。行きましょう」

 「ありがとう。旦那の次に愛しているわ、陸奥君」

 調子のいい言葉に、苦笑して、「はいはい」と答えた。

 「で、もう一人、加わるから」

 「・・・誰が、女一人で、誰もいない所を歩くんですか?」

 「だって、一緒に行ってくれるのは男性よ?女は一人だけれど、男はゼロとは言ってないわよ、私」

 「・・・原さん、詐欺師の才能、ありますよ」

 陸奥は頭を抱えた。と、原が手を振る。

 「来たわよ、そのもう一人」

 そのもう一人の男は、やはり三十代の後半あたりだろう。短い髪は整えており、痩せ型の体にきちんと着られた服は、どこの公式会場でもパスするのではないか、というくらいに、かえって堅苦しい。

 男は、二人のところまで歩いてくると、「やあ」と、笑って言った。

 「どうやら、女王陛下の忠臣がもう一人、見つかったようですね」

 「時田さん」

 と、陸奥は言った。

 「犠牲者といってください。騙されたんですよ、僕は」

 「いいじゃないですか。薬品運搬の手伝いぐらい、騙されても。それに、あなたが原さんに騙されるのはいつものことでしょう。もう少し、疑ったらどうですか」

 「あのね」

 原が眉をひくつかせながら言う。

 「騙された騙された、って、まるで私がお二方を、悪事に無理矢理荷担させているみたいじゃないの」

 「おや、違ったんですか」

 「違うわよ」

 怒った口調とは裏腹に、原の顔は笑っていた。

 この三人、もともとご近所さんだったので、仲は良いのである。で、この避難所の、中心的な存在になっていた。

 「で、これを食べ終わったら、すぐに行きたいのよ。病院と、あと、もうちょっと上じゃないと、薬局はないみたい。だから、時間がかかるけれど、いい?」

 「僕は構いませんよ。僕ごときの仕事は、他の人に任せられますし。時田さんはどうです?」

 「その点は、私も同じですよ。それに、したいことがありますから」

 「それ、私も聞いてないわよ。何なの」

 「はい。娘がかわいがっていた犬がいなくなってしまいまして。前から放浪癖のあるやつでしたが」

 陸奥も原も、それは初耳であった。

 「どんな犬なの、それ」

 「茶色の雑種犬です。名前はレオ」

 「ジャングル大帝のですか」

 「いえ、ナポレオンからです」

 「お酒の?」

 「呆けるのはやめて下さい。娘がつけた、素晴らしい名前なんですから」

 表情一つ変えることなく言うので、陸奥は頭を抱えた。

 「惚気の次は、親馬鹿を聞いてしまった・・・」

 「これぐらいの言葉で悩んでいるのなら、先は長いわね」

 原はそこでお茶を飲みきると、「さて」と立ち上がった。

 「とっとと用事を済ませますか」



 アスカはうずくまっていた。まわりは業務用の巨大な段ボールがひっくり返っている状態で、中からカーペットやら園芸用の土の袋やらが飛び出している。彼女は、巧妙に自分の居場所をそれらによって隠していた。

 明かりが点っていないバックヤードの中には沈黙しかなく、彼女の呼吸する音でさえ響いてしまいそうだった。

 どこからか物音がする。大声を上げたいのを、懸命にこらえた。

 (あんたたち、しつこいのよ、うっとうしい)

 あれから、男たちは執拗にアスカを追いかけてきた。捕まる前に隠れる場所を何度も変えてきたが、適当なところで逃げ出そうという計画は今のところ無理であった。

 もちろん、彼らがそこまで彼女に執着する理由が、彼女の手の中にあるのも知っている。

 どこの国のものかは分からないが、彼女でも両手でなら撃てそうな拳銃であった。自動式で、射程距離は短いと思われる。当然の事ながら、狩猟用ではない。

 (まあ、狩猟用じゃないだからこそ、必要なのかもしれないけれど)

 手の中で感触を確かめながら、そう思う。

 入手場所はどこだろう。警察?それとも、自衛隊?

 考えを張り巡らしていたアスカは、ふと、嫌な予感がした。どうしてだろう?

 きっと、関係のないことだ。首を振って、それを頭から追い払った。

 そして、・・・彼らが彼女を追ってくる、もうひとつの理由。

 できることなら、この身を引き裂いてしまいたい、と、彼女は思った。生きながらにして、陵辱と虐殺を味わっている少女。できることなら、今すぐに、自分を原子の段階にまで分解してしまいたい。もちろん、その願いが叶えられるわけがない。

 とりあえず、今はこの事態をどうにかするしかない。どうにか逃げられないかと思ったのは、何となく、殺すのがためらわれたからだった。なんといっても、この数日、待ち望んでいた人間なのである。たとえ、彼らの行動が耐え難いものだとしても。

 しかし、自分はやはり甘かったのだ、と思った。殺さないにしても、せめて足止めするだけの手段を下さねば、ひたすらこのかくれんぼを続けるしかない。

 持ち物を調べる。食料や衣類をはじめとして、各種生活用品がそろっている。

 もちろん、拳銃が一番の武器になるのは間違いのないことだった。しかし、射撃訓練などまともにしたことがない。エヴァでならいくらでも撃ったことがあるが、実際に撃つのとでは何もかも違うだろう。まともに撃っても当たるかどうか、かなり怪しい。

 段ボールにあたりたくなるのをこらえつつ睨んでいると、ふと、段ボールの間から、タンスが見えた。

 「ここ、デパートよね。・・・」

 アスカは立ち上がると、誰もいないのを見計らって、デパートの内部を突っ切る。エレベーターの所に、案の定、どこの階に何が置いてあるのか、箇条書きしてあった。

 彼女が今いるのは最上階の八階で、家具が並んでいる(どうして最上階にそんな巨大なものを売っているのか、彼女は理解に苦しんだ)。移動するには、屋上に行くか、階段を下りるしかない。一見、危険なように思われるが、こういうデパートの常として、階段は探せばいくらでも見つかる。それでも、バックヤードから、従業員用の階段で、音を立てぬように下りていった。

 アスカが下りたのは二階の婦人衣料品。暗いかと思いきや、北向きの壁がガラス張りだったので、服の色合いを見るのはともかく、動き回るにはそんなに支障がない。ゆっくりと、店内を見て回る。途中、かけてあった服を取っ払ったり、靴下が積んである棚を動かしたりして、どうにか一周すると、おもむろに服を取り去ったマネキンに手をかける。

 大きな音を立てて、マネキンが倒れた。



 その病院は、表の看板によると、かつては市立病院だったらしい。例によって表口は自動扉だったので、他の出口を探してみると、運良く、夜間用の出入り口があったので、そこから入った。

 灯りのない内部は思ったより狭く、廊下も人が二、三人、並んで歩けるかぐらいの幅しかない。一週間は放置されていたはずだから、少しは汚れているかと思ったが、そうでもなかった。ただ、通気が悪いので生温かい空気が動かず、例えていうならぬるめのサウナにいるかのような気分。

 シンジがこの病院の敷地に入っていったのは見られていたはずだ。包帯を探している暇はない。腕の中の犬はこれまでの移動でかなり疲れたらしく、かすかにでも唸ることすらしない。どう見ても、休ませる必要がある。

 内部を見て回りながら、シンジは他のことに気をとられていた。

 (どうして、こんな犬なんかのために走っているんだろう、俺)

 最初は、アスカが飛び出したのを見かねて、どうにか助け船を出せないか、と考えた上での手だった。後は無我夢中で逃げ続け、たった一人の仲間であるアスカともはぐれ、今や道連れはこの怪我した犬だけ。

 これを骨折り損のくたびれもうけというのか。かろうじて自業自得でないことは確かだけれど。

 それにしても、と、腕の中の犬を見ながら思う。

 人の飼っている犬に手を出してまで、肉を食べたいのだろうか?

 いや、シンジは特に好き嫌いなく何でも食べるが、特定のものを「何が何でも食べたい」と思うほどに執着したりもしない。毎食、満足できるだけの量を食べられるのならそれで十分、品目は二の次だ。だから、正直言って、彼らの気持ちなど、まるで分からない。

 そして、分からないから、困っている。

 慎重にそこの扉を開くと、この犬を隠せるだけの場所を探して、そこに置いた。

 「もう少し、ここで待ってろよ」

 頭を撫でてみると、かすかにうなった。

 シンジは巧妙に隠すと、その部屋から出て、一階のロビーへと向かった。ロビーは広く、二階から吹き抜けになっている。正面口はガラス張りになっており、まもなく来た男たちが彼を見つけるのは訳がなかった。

 来たのはやはり、シャツに負けないぐらいの赤ら顔の大男と、和服姿で足も悪くなさそうなのに杖を持った男。何かしらが転がっているロビーの中央で、突っ立っているシンジを見て、赤シャツの男がいった。

 「どういうつもりだ」

 「・・・どうもしません」

 シンジは、自分が不思議なくらいに落ち着いているのが分かった。

 「あの犬を奪って逃げたことは謝ります。でも隠したことが間違っているとは思いません」

 「そんなことはどうでもいい」

 赤シャツの男は、明らかに苛立っていた。

 「あの犬はどこなんだ」

 「食べるつもりなんでしょう。だったら、言いません」

 「分かっていないな」

 赤い顔が、ますます赤くなる。

 「全ての生命は、食われるために存在しているんだ。人間様にな」

 「ぼくが言っているのは、所有権です。哲学ではありません」

 「飼い主が生きているわけがないだろう?なら、残った物体を生き延びた者がどう扱おうと、こっちの勝手だ」

 「でも、ぼくが数日前にあの犬を見たときは、首輪はなかったんだ」

 シンジは、ひどく情けない気持ちになっていた。どうして、こんなことを必死で主張しなければならないのだろう?どうして、この人たちはぼくが言いたいことを分かっていないのだろう?

 「お願いします。あの犬を、“今”、飼っている人がいるはずなんです。その人のことを考えてあげてください」

 今まで黙っていた和服姿の男が、口を開いた。

 「知らんな」

 シンジは、男が何と言ったか、分からなかった。追い打ちを掛けるように、もう一度、言った。

 「知らんな、そんなこと。どちらにせよ、われわれは食うだけだ。・・・おい」

 和服姿の男が顎で指図すると、赤シャツの男がシンジに近づいてきた。さすがに身の危険を感じたので、数歩下がる。が、逃げようとした方向がふさがっていることに気づいて、愕然とした。<`>  それでも、どうにか男の脇をかいくぐろうとしたが、男の動きは思ったより素早かった。カウンター気味に、腹に拳が食い込む。

 気が遠くなり、やがて闇が視界を覆った。



 「くそ」

 白髪頭の男が鍋を蹴った。

 「ここに逃げ込まれたのはまずかったか」

 「なあ」

 入れ墨の男が、怯えた様子で言った。

 「この事は、皆あんたのせいだからな。俺は、レンタイセキニンなんてごめんだぞ」

 「うだうだくっちゃべっている暇があったら、とっとと探せ」

 中華鍋を叩き落としながら怒鳴る。鍋職人が見たら、失神しそうな光景だ。

 「おお、こわ」

 おどけて肩をすくめる。

 「なあ、あの子娘、どうする気だよ」

 「手を出すんじゃないぞ。とっつかまえたら、いい金になる」

 「せめて、味見ぐらい」

 「馬鹿。見て分からんのか。傷無しだぞ」

 「側に男がいるのにか?」

 「あの坊やに、そんな度胸があるように見えたか?」

 「そりゃ、言えてるなあ。お手手つないだだけで、便所に駆け込みそうな面、していたからな」

 笑い声と、下の階で、何か大きな物音がしたのが重なった。

 「何だ・・・?」

 二人は顔を見合わせたが、すぐに、側の階段から駆け下りた。

 三階は何もなく、続いて二階。

 扉を開けた途端、扉に小さな穴ができた。・・・いやに乾いた銃声と共に。

 二人は伏せたが、物音一つしなくなった。

 「そっちを探してくれ。俺はこちらを探す」

 「早い者勝ちって訳か」

 「おい、油断するなよ。相手は平気で撃ってくるぞ」

 止める暇もあればこそ、入れ墨の男は床に這いつくばったまま、ブラウスの棚を横切って、白髪頭の男の視界から姿を消した。

 二人が下りたのは、南側の階段である。遥か向こうから、薄暗いとはいえ光が射し込んでいる。白髪頭の男は物陰に注意しながら、ズボン売場の方へ行った。手にはスポーツコーナーで取ってきた金属バットが握られている。

 店内を見回した彼の目に、円形の棚の向こうにある、試着室が目に入った。人がいるわけがないのにカーテンが閉まっており、カーテンの下の方から、靴らしき物も見える。

 男は、かなり遠回りをした末に、試着室の横の壁に到達した。慎重にバッドを持って、正面に来るなり、振り下ろす。

 手応えはあった。カーテンごと、何度も何度も振り下ろす。固い音に首を傾げて、カーテンを引き剥がした。

 「何だ、これは」

 白髪頭の男が拍子抜けしてそう言ったのも無理はない。彼が見つけたものはマネキンであった。服が重ね着してあり、人に見えないこともない。

 そのときであった。もう一度、銃声がした。

 「あ・・・」

 白髪頭の男は、バッドを落として、何か捜し物をしているかのように胸をさすった。そのまま、ねじの切れたからくり人形のように、仰向けに倒れる。

 「おい、大丈夫か」

 入れ墨の男に返事をすることは、もう、彼にはできなかった。

 「おい、・・・」

 そこで倒れていた白髪頭の男を見つけて、入れ墨の男は一瞬、後ずさったが、すぐに近づいて、唾をかけ、おまけに蹴りを入れた。

 「まったく、あれこれうるさい奴が死んでくれて、せいせいした」

 「あんたみたいなのが仲間じゃあ、そいつも浮かばれないわね」

 どこからか声がして、男は顔を青くした。

 「どこだ。貴様、どこにいるんだ」

 「ここよ」

 銃弾が、男の顔をかすめた。



 続く



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