相田ケンスケがサードインパクトを迎えたのは、爆破事故により消滅した第三新東京市が特別に設置した疎開所でのことだった。

 疎開する前の事だ。彼はトウジがエヴァのパイロットになり、結果片足をなくしたことを知った。ケンスケが感じたのは、ざまあみろ、という嘲りだった。

 そう自分が感じた事に、愕然とした。

 (友人が足をなくして、喜ぶ馬鹿がどこにいるんだ!・・・)

 その事が負い目となったのだろうか、疎開先で再会した時、偽足で歩く訓練をしていたのを、ケンスケは手伝うようになっていた。今までの二人の友情からして、それは自然なことのように見えたし、確かに偽足はネルフが最先端の医療機関に特別注文したもののだけはあって、最新の物が使われていたので、機械好きのケンスケがそれに興味を示したのも事実だが、彼自身に、ゆっくりとした変化が訪れていたためか、今までの二人の付き合いとは、どこかが違っていた。

 ケンスケのどこがどのように変わったか、というと、見た目は特に変わりはなかったが、今までのようにはしゃぐことがなくなってしまった。鬱々とはしていないが、時々黙り込んでいることが多くなっている。

 そうして、カメラで何かを撮影しているのである。

 トウジは、友人が乗りたがっていたエヴァに自分が乗ったことと、結果足をなくしてしまったことで、友人が塞ぎ込んでいる事に気付いていたが、黙っていた。彼にできる事は、今まで通りこの友人に接することだ。そうすればいつかは今まで通り、気兼ねなく付き合えるだろう、と彼は信じた。

 その日の朝、ケンスケはトウジと下らないことを話していた。

 いつも通りの日常は、突如破られた。

 「第三新東京市跡地で、自衛隊が大規模な活動を起こしている。どうも大変な事が起きているらしい」というニュースが飛び込んだのだ。二人は顔を見合わせた。あそこにはまだ、二人が関わりすぎるぐらいに関わった人達が残っているはずだ。ケンスケは漁れるだけの報道関係は全て漁ったが、政府は「詳細は作戦終了後に伝達する」と発表したきり沈黙を保っているという事で、何も詳しい事は分からなかった。

 テレビの画面を睨みつけているだけの、苛立たしい時間を過ごした末の事だった。スイッチにはどこにも触れていないのに、突然、テレビの電源が切れた。

 (こんな時にバッテリー切れかよ)

 しかし、今朝まで充電していたのだから、後半日は楽にもつはずだ、という疑惑が過ぎった時だった。

 何者かの手・・・ひどく白い、少女ほどの細い手だった・・・が自分の顔をおおった。

 別の手が、胸をおおった。

 さらに他の手が、腹をおおう。

 次々と、無数の手が自分を包んでいくというのに、不思議と恐怖は感じなかった。むしろ、このまま包まれていたいという、歓喜さえ感じた。

 もう、何本の手が自分の周りにあるのか分からなくなったとき、誰かが、もうとっくの昔におおわれているはずの耳元に、口を近づけてきて、ささやいた。

 「ケンスケ」

 その穏やかな声は、どこかで聞いたことがあったが、どうしても思い出せない。

 声に合わせたかのように、彼に触れている手も、別の誰かのものに変わっている。先程よりこころもち長い、しかし温かい手だ。その手が自分を強く引き寄せる。ケンスケは抵抗しなかった。ただ、声の主が気になった。

 そして、世界が暗転した。






第七話 運命はかく扉を壊す







 丸い点の中に、雲があった。

 「何や、また回してるんかいな」

 原っぱに寝転んだまま、ハンディカメラを声がかかった方に向けると、友人の呆れ果てた顔が映った。

 「俺のできる事なんて、これぐらいだからなあ」

 「相田は、できないんじゃなくって、しないだけでしょ」

 別の声がかかった。そちらを見ると、何やら包みを持った、二人の良く知る少女がビデオを見ている。

 「お昼よ。ここで食べましょう」

 「お、うまそうやな」

 めいめいにその場に座る。彼も箸をとるべく、ビデオの電源を落とした。

 風は心地よく、弁当はうまい。天候が曇りばかりだからなのか、最近の気候はいつもよりずっと暮らしやすい涼しさにまでなっている。

 あの日の出来事が嘘のようだ。



 あの時。

 気がつくと、床は琥珀色の液体で浸されていて、ケンスケはそこに寝ていた。トウジも同様に眠っていた。ただし彼の場合は新しく包帯が巻かれ、各所に適切な処置がしてあるという、奇妙なものだった。

 彼は友人を起こし、他にも同様に寝ていた大人達も起こすと、一応予備の電源がついていて薄暗い、疎開所の外に出た。

 疎開所の入り口は山の中腹にあり、眼下の景色を一望することができた。彼らがそこで見たものは、赤く変色し、陸地を侵食している海と、隕石か何かが落下したのでは、と思わせるようなクレーターだった。クレーターは小規模なものが他にも数箇所あり、事態の深刻さを訴えていた。

 予備の電源によって、無線で連絡を取ったところ、どうも事態は彼らの予想をはるかに上回っていることが明らかになった。同様の現象が世界中で起こっており、死亡者、行方不明者はかなりの数に上るという。

 それからはあっという間だった。偶然にも近くに疎開してきたところだったという洞木ヒカリと再会したり、思い切って眼下に住居を移すことが決定して大規模の移動が行われたり。ケンスケ達の間ではともあれ、トウジの妹とヒカリの妹が仲良くなってくれたのは良いが、二人ともつかず離れずで、何かと企んでは(二人は新しい遊びを思い付いている感覚なのがまた厄介であった)周りを困らせたりしていることが目下の重要事項であった。トウジから見たら、約束通りネルフが行ってくれた治療のお陰ですっかり元気になった妹を見ているのは何よりもの喜びだったし、周りにとっても、こういう状況下では元気な子供たちを見ているのは何よりもの励みになる。限度にもよるが。

 どうにか、平穏といえるかもしれない生活が戻ってきていた中で、ケンスケが一つだけ気になったことがあった。あの日の幻想だ。

 その事について、彼はトウジにだけ打ち明けた。すると、トウジからも興味深い話が聞けた。

 「わしもな、あの時、後ろから、誰か女が抱きついてきおってん。名前呼びよるから、誰や思うて振り返ったら、意識がなくのうて、・・・なあ、まさか、わしら二人だけ、変な夢見たっちゅう訳とちゃうわな」



 その日も、ケンスケはカメラを持って出かけていた。出かける先は山である。何かがあってからでは危ないと言われていたが、よくキャンプに出ては戦争ごっこをしていた彼にとっては、釈迦に説法も良いところであった。

 片足だけのトウジに山道を登らせる事はできなかったので、彼は一人で出かけている。

 ある程度登った所で車道に出た。彼は車の通らない車道で、ガードレールを乗り越えて斜面に腰掛け、カメラを回した。最近、彼が撮るのはこういう自然物とか、一変して皆の食事風景とか、一体何を好き好んで、というものばかりだ。

 十分ほど回して、彼はため息とともに電源を落とした。

 「ねえ、そこのあんた」

 前触れもなく、背後からそんな声がかかったので、後もう少しで大切なカメラを落とすところであった。

 振り返って、そのまま体が固まった。服装はどこにでもある身動きしやすいものを来ているが、その表情は凶悪なもの以外の何物でもない男女が、五、六人ほど彼を囲んでいる。

 (しまった、強盗か)

 最近、警察の治安が弱まっていることもあって、犯罪も多くなっている。特に盗難や強盗などは頻繁に起こっており、ケンスケのいる集落それ自体にも襲撃があるほどだった。どうにか撃退しているものの、被害は皆無なわけではない。

 カメラを回している間に、うっかり、彼等が近づいてくるのを気に止めていなかった。「何か近づいているな。ま、ここは音を消して、代わりに音楽でも流すか」と思っていたのである。

 「いいもの持ってるじゃない。ちょっと、あたしたちに貸してくんない?」

 リーダー格らしい女が、彼のカメラに手をのばそうとする。彼は悩んだ末、彼女にカメラを手渡した。「ふうん。賢明だね」と言った女はにやけた笑いを崩さずに、カメラをのぞき込んだりしている。

 「他には何か持ってないの?」

 「いいえ」

 「へえ。で?こんなところで、何を撮ってたのさ」

 「ここからの風景だよ」

 「・・・くっだらない」

 女は、声を上げて笑い出した。他の男女もそれに続いて笑う。

 「聞いたあ?ここからの風景だよ、だってさ」

 おもむろにテープを取り出すと、思いきり中身のフィルムを引っぱり出して捨て、踏みつぶした。笑い声は更に大きくなった。

 彼は耐えた。ここで立ち向かっても無駄なだけだ。目の前の馬鹿共を、にらみつけたりしないように、自分をおさえるのが精一杯だった。

 ひとしきり笑った後、女は高々とカメラを掲げた。

 「ほら、返してやるよ」

 そういって、眼下で生い茂る木々の方に向かって投げた。放物線を描いて、ケンスケの宝物が落下していく。

 一瞬、あのカメラを店先で見つけ、資金稼ぎの果ての購入、そして今までさまざまな映像を撮ったことがケンスケの脳裏を描いた。

 それでも彼は耐えた。女の方に「失礼します」と礼をしてカメラを探しに下りようとする。

 その時、腕を強く掴まれて、つんのめった。肩越しに見上げると、男の一人が笑っている。

 「逃すかよ」

 そのまま、アスファルトの地面の方に放り投げられた。受け身など知らないため、腰からまともに落ちたときは一瞬息が止まった。起き上がろうとするところを数人がかりで押さえつけられる。

 「おい、足を折れ。連れて行けば、そこそこの金になるぞ」

 右足に痛みが走ったが、唇をかみしめて、声を上げるのはこらえる。もはや抵抗する意志を隠しはしなかったものの、足を折られるのは時間の問題だ。

 (ここで俺は終わるのかよ)

 心の中の絶叫に、なにものかが答えたのか。

 まさに、男の足が再度振り下ろされようとしたその時、男の顔に何かが飛んできて、張り付いた。

 あ、と思った次の瞬間には、男とはケンスケを挟んで反対側にいた女がこちらに倒れる。思わずそうしたのか、ケンスケを押さえつけていた彼らの手が離れた。ケンスケは横に転がって、女の直撃を避ける。

 「下らない」

 先程、ケンスケのカメラを放り捨てた女と同じ言葉だったが、こちらはまるで一流の役者のようにはっきりとした、よく響き渡る声だった。

 声の主は、倒れた女のすぐ近くにいた。女はこの人物に倒されたらしい。

 中学生だろうか、顔立ちの整った少年だった。髪はケンスケと同じぐらいの長さで、風に吹かれてさらさらと動いている。鋭利な印象の顔立ちは表情を浮かべずにこちらを見ている。背はケンスケより少し高いだろうか。身に付けているのはどれも安物ではなさそうなシャツとパンツルック。おそらく、十人中八人は、彼に悪い印象は抱くまい。ケンスケはというと、八対二の、二の方だった。何となく、気障なのが気にくわないのだ。

 「駄目じゃないか、ポイ捨てなどしちゃあ。あやうく、頭に直撃するところだった」

 少年が手に持っている物を見て、ケンスケはもう少しで歓声を上げるところだった。間違いなく、そこにあったのは彼のカメラだったのだ。

 ケンスケと倒れた男から離れていた強盗たちは、突然登場したこの少年にひどく驚いていたが、すぐに少年に向かって襲いかかっていく。

 「君」

 と、少年がカメラをケンスケに向けて放り投げた。そこへ強盗たちが少年へ殺到する。どうにかカメラをつかむと、ケンスケは立ち上がった。幸い、多少痛いだけで腰も足も無事だ。

 カメラを懐にしまうと、少年の加勢をすべく、何か武器はないか見渡した。ふと足下でまだ倒れている女を見ると、懐から木の棒が見える。

 すぐさまもぎり取り、むちゃくちゃに振り回しながら、喧噪の中に飛び込んだ。

 しかし、ケンスケの加勢はほとんどいらなかった。というのも、ケンスケが加勢に入るまでのわずかな間に、少年はすでに五人中三人を倒していたからだ。どれも物騒な武器を持っていたが、少年にかすり傷ひとつ負わせることすらできなかった。

 残る二人は案外律儀にも、仲間を見捨てて逃げ出したりせずに少年を倒そうと向かっていた。その内の一人の背後にケンスケは回り込み、棒を振り上げる。

 不意打ちをくらった男が倒れるのと、少年が最後の一人を地面に叩きつけて押さえ込むのは、ほぼ同時であった。

 「ありがとう、おかげで助かった」

 最後の一人、・・・ケンスケのカメラを投げ捨てた女を押さえつけ、油断なく見下ろしたまま、少年は言った。

 「それはこっちの台詞だろう。カメラと俺と、両方を助けてくれんだから」

 「いや、あれは助けられなかった」

 少年が目を向けた先に、ビデオテープの残骸がある。女に視線を戻したとき、彼はとりわけ低い声を発した。

 「君は、彼があのテープにかけた費用と時間と労力を賠償しなければならない。分かっているだろうね」

 この期に及んで、あざ笑うように少年とケンスケを見ている女の顔を、少年は無表情に見下ろしていたが、おもむろに片手を伸ばした。

 「そうだね、これをいただこうか。なかなか高そうだ」

 彼の手が伸びた先には、確かに高価そうなルビーのついたピアスがあった。少年がそっとそのピアスを掴んだ時、女の顔に初めて恐怖の表情が浮かんだ。

 「ちょっと、あんた、何をするのさ。ねえ、やめて、やめて、お願い、・・・」

 ケンスケが目を背けてから間もなく、悲鳴が二度上がった。

 少年は、もはや叫ぶ以外には能のなくなった女を突き放すと、ケンスケの方までやってきた。宝石以外の箇所も赤くなったピアスを二つ手に載せて、背後で倒れている人間の図とはひどく不似合いなぐらい、綺麗に微笑む。

 「君の分だ、持っていけ」

 いらない、と言うことはできなかった。逆らったら何をされるか分からない。かすかに震える手でピアスを受け取る。

 ふと顔を上げると、少年が申し訳なさそうな表情をしていた。

 「怖がらせたみたいだね。すまない。けれど、ぼくは君の気持ちを代弁したつもりだ。彼女が君にしたことを考えれば、あれぐらいの罰は当然だと思ったが」

 表情を見ていると、どうやら本気で申し訳なさそうにしているようだった。少し安心した。と言って、完全に気を抜いたわけではない。

 「君、この辺りの人?」

 少年は最初に倒れた女に近寄ると、彼女にぶつけた物、・・・ハンティング帽を被った。

 「いや、最近、疎開してきたばかりだけれど」

 「そうか。ぼくも疎開したいところだが、そうも行かないしな」

 「あ、俺、相田ケンスケ。あんたは?」

 「藤井エリナ、だ」

 ケンスケは、自分のあごが落ちるかと思った。目の前の人物はどうしても少年に見えるため、そこに藤井エリナなどという名前と結び付けるということは、冬と熱帯夜、夏と吹雪を結び付けるより難しい。

 「あの、・・・女の子、なの」

 「そうだ」

 少年は、いや、本人の言葉を信じるならば少女であるところのエリナは、あっさりと頷いた。ケンスケは思わず、まじまじとエリナを観察し、それから唾を飲み込み、そうしてどうにか言葉を発した。

 「だって、その格好は、・・・どう見ても男だろう」

 「女だって、こういう格好をするだろう」

 正論だ。それによく見るとエリナの服は、明らかに女性用だった。

 「でも、その口調。それに自分のことをぼくって言うし」

 「ぼくがぼくのことをぼくと呼んで、何か不都合な事でも?」

 そう言われると、ケンスケとしては言うことがなくなってしまう。この少女・・・ケンスケから見たら、この人物を少女と見ることは、随分違和感があった・・・にとって、自分のことを「ぼく」と呼ぶのは実に自然なことだったのだろう事はすぐに分かったので、それ以上、その事には触れないでおくことにした。彼だって、「どうして自分のことを俺と呼ぶんだ」としつこく聞かれたりしたら不愉快になるだろうから。

 要するに、美少年は美少女だった、と割り切れば良い訳だ。そう考えて、ようやく気分が楽になった。

 「分かった。勘違いしてごめん」

 「いや、ぼくも、誤解を招く事は十分に承知しているから、きみは謝らなくていい」

 (謝らなくていい、って、何だかなあ)

 ケンスケは、この現実から随分ずれた調子の少女を、多少呆れながら眺めた。

 「なあ、藤井は、特に急いでいるのか?」

 「いや。宿なしの一人旅だから、特に急いではいない」

 「よかったら、俺のいるところに来ないか。何もないから、お礼にあげるものもないけれど」

 「君のいるところって?」

 「ああ、この下だよ。とりあえず、食事と泊まるところは困らないようにするから」

 「そうか。じゃあ、お言葉に甘えようか。正直言って、ぼくもそうしてもらうと助かるよ」

 そういって微笑むエリナを見て、

 (笑顔は女らしいんだな)

 と、ケンスケは妙な感慨にとらわれた。



 「ええ匂いやなあ」

 ヒカリが大人数用の大鍋に取りかかっていた時、トウジが顔を出した。

 「ちょっと鈴原、うろついているだけなら、ちょっとは手伝ってよね」

 「すまん、他のとこ手伝うとるついでに来ただけや。ケンスケの奴、知らんか。まだ山からもどっとらんが」

 「こっちには来てないわよ。もう帰ってくるんじゃない?」

 「そうか。悪い、邪魔したわ」

 立ち去っていくトウジの背に、ヒカリは何か言葉をかけようとして、やめた。そっとため息をつきながら、鍋をかき回す。

 「おおっ、旨そうだなあ」

 背後の声に、ヒカリは言葉をかけようと振り向いた。

 「相田、鈴原が捜していたけど。・・・その人は・・・?」

 ヒカリはエリナを、息をするのも忘れるようにして見ている。ケンスケは自分の手柄のように、

 「たまたま、山の上で会った。藤井エリナ、さん。こっちは、同じクラスだった洞木ヒカリ。クラス委員長だったから、皆委員長、って呼んでた」

 「洞木委員長、ですね。はじめまして、藤井です」

 ヒカリは、エリナの手が差し出されたのにも気付かず、「女の方なんですか」と、白昼夢でも見ているかのような目で言い、と、我にかえった。

 「ごめんなさい。それに、い、委員長、なんて、とんでもない!洞木か、ヒカリでいいです」

 いつもよりかなりの高音でそう答えると、慌てて自分も手を差し出した。どうやら、エリナの容貌に、完全に舞い上がってしまったらしい。自分でもそれに気付いているのか、恥ずかしげに頬を染めてエリナと握手した。勿論、そばでケンスケが、呆れたような目を向けていることなど、気付く由もない。

 「委員長、どうしたんや」

 ヒカリのファルセットを聞いて駆けつけたわけでもないのだろうが、トウジが顔を出した。途端に、ヒカリの顔が、いたずらを見つかった子供のように真っ赤になる。

 ケンスケと軽く挨拶を交わしながらも、トウジは真っ赤になっているヒカリと、新顔のエリナに目を向けている。

 「え、ええっとね、相田君が山で知り合った方ですって。ふ、ふ、ふじ、」

 「藤井エリナです。はじめまして」

 トウジは、真っ赤になってうつむいているヒカリに首を傾げている様子だったが、すぐにエリナの方に向き直ると、

 「鈴原トウジです。どうぞよろしく」

 述べつつ、握手する。はたと、ヒカリがトウジの顔を、目を丸くして見た。慌ててケンスケの方を向くと、彼も目を丸くして、うなづく。

 「トウジが舞い上がるなんてな」

 エリナに話しかけているときのイントネーションが、標準語になっていた。



 続く



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