第八話 CHILDLEN×CHILDLEN





 セカンドインパクト以来、日本からは四季が消えたため、生物、取り分け植物の生態は大幅な変更を余儀なくされていた。気候の変化に耐えきれずに枯れていった木々の間に、自然の采配か、南の地方で年中生い茂っていたような木々が芽を出している。流れを変えた風によって、種子が運ばれてきたのだろうか。

 少年が通っている林も、そのようにして変化した地区の一つであった。

 年が変わって久しいというのに、枝はますます伸び、葉は一層生い茂っている。彼がその脇を通り、また踏みつけていく地面の草花も、木々と同じように、全盛期以上の多湿高温の気象に耐えうる草のみが地面を覆い尽くしている。

 しかし、そうした現象も、先月の世界的な大災害、・・・無数の爆発が起こり、同時に人が大量に行方不明になるという、謎の現象を、人々はまるで隕石が無数に落下したような爆発から「サードインパクト」と称していたが、その「サードインパクト」以来、少なくとも日本では、ある異常気象が見られていた。

 地球を回る無数の衛星の一つでも、地上の誰かに日本上空の映像を送る事ができたのならば、さぞかし混乱しただろう。日本列島を中心として、樺太、台湾、果ては中国の東南地方にまで雲がすっぽりと覆い、サードインパクト以来、一度として晴れた試しも、逆に雨が降った試しもない。傘屋は商売上がったりである。ちゃんと店を開いていた所があったとしての話ではあるが。

 なんともおかしな天気であった。まるで、風が全くないかの様に、雲は切れ目一つ見せない。大対、雲というものは浮かんでいるように見えて、実際はゆっくりと落ちてくるものであり、それがやがて雨になったりするのだが、そうした様子もない。上空でさえそうした様子なので、地上の空気はなおさら動く気配もなく、最初の数日こそ涼しい日が続いていたものの、今や蒸し暑い日々が続いている。

 道なき道を行く少年の額にも、うっすらと汗が光っていた。時折、それを焼けていない、白い腕で拭う。

 山林の中を進むにしては、綿のシャツとズボン、スニーカーという、余りにも不用意な格好である。服も靴もサイズが合っておらず、しかも鞄一つ所持していない。風呂に入っていないのはすぐに分かる。髪は何で切ったのだろう、と首を傾げるぐらいに無造作に短く切られていて、爪はそこらの石に擦りつけたのだろう事が一目で分かる。全くもって、薄汚れた、という言い方がこれほど似合う格好もないだろう。

 しかし、同時に、それでもなお、少年の美貌は隠しきれるものではなかった。いや、敢えて汚れてみせることで、少年に野性味が加わり、着飾った時とはまた違う、まるで今、大地から生まれ出たか、木々の葉の間からこぼれ落ちたかのような神秘性さえある。

 年は十代の半ばだろう。男らしさは全くなく、かといって完全に女に見られる、という訳でもない、いわば中性的な、整った顔立ちである。体つきは細く、体臭も土と緑の匂いにかき消されている。枝に引っかかれたのか、腕に何筋かと、頬にも一筋、うっすらと傷があり、それが少年を別世界のものでない、この世の存在である事を示していた。肌をより白く見せるための、化粧のような役割さえ担っている。

 枝を掻き分け、葉を踏みしめ、かすかに頬を紅潮させて進む。

 曇り空でも比較的明るいのでおそらく昼半ば、唐突に林は途切れ、アスファルトの道に出た。彼の進む方向を横切っているその道は、彼がいま上ろうとしている小さな山を越えていくための緩やかな坂になっているらしく、右手は上りに、左手は下りになっている。

 ふと、人の声が下り(つまりは左手)からした。少年がそちらを向くと、趣味の悪い服を着た十人ほどの人間が、彼らから見れば山林から突然現われた少年を凝視していた。

 と、その中の、髪をワンレンにしている女が、少年を指差して叫んだ。

 「あいつだ!この前、あたしらにいらないちょっかいをかけてきたのは」

 たちまち、「なんだと」という声がおこり、彼らを無視して先に進もうとしていた少年に追いついた。

 「待ちな」

 少年は無視した。

 「待て、って言ってるだろうか」

 中の一人が少年の肩をつかんだ時、初めて少年は立ち止まった。それでも顔は彼らに向けることはしない。

 ワンレンの女は、彼の正面に回ると、その顔を歪めた。

 「間違いないよ。この憎らしい面が二つとあってたまるものか。よくもあたし達に傷を入れてくれたもんだね」

 「人違いだね」

 色めきだった彼らの間、少年の声が抜けていく。その容貌に違わぬ美声だ。

 「僕が、ここを訪れたのは初めてのことだし、あなたに逢うのも初めてのことだ。従って僕はあなたを傷つけた犯人ではない。思い込みによる責任のなすりつけほど、人類にとって愚かしい所業もない。まあ、どうあれ、今後はこのような事態を引き起こさないよう、厳重なる注意を要請しようか」

 一瞬、彼らには少年の言った事が理解できなかったようだが、要するに「目をよく開いてからものを言え」と同意であることが次第に飲み込めたようである。

 ワンレンの女が更に声を上げた。

 「馬鹿を言うんじゃないよ。どちらにしろ、この界隈をただで通す訳にはいかないんだよ」

 「ここは私道でも私有地でもない。あなたがたにはそんな権限はないだろうに」

 「ごちゃごちゃうるさいガキだね。ほら、西園寺のオババに売るんだから、傷つけないようにして」

 女は合図すると、少年の両脇をそれぞれ二人がかりで抑えさせた。懐から拳銃を取り出して、抵抗する様子もない少年の腿にあてる。

 「銃刀法に違反していると思うな」

 「無駄口を聞いていられるのも今のうちさ。たっぷりと悲鳴をあげてもらうからね」

 女が引き金を引く。

 銃声が辺りに轟いたが、それが完全に消え去っても、誰も声を漏らさない。

 少年は悲鳴をあげるどころか、体のどこにも穴があいていなかった。服にさえも。

 「やめておいたほうがいいよ。そんなものでは、僕を傷つけることもできやしない」

 少年の声は淡々としていた。

 「・・・そんな事、あってたまるものか」

 顔を青ざめさせた女は更にもう一度発砲した。

 今度こそ、彼らにもはっきりと見えただろう。銃と少年の間に、赤く光る、厚みのないものが盾のように現われて、銃弾を防いだのを。

 「あ・・・」

 「やめておいたほうがいいよ、と言ったよね、僕は」

 少年は、作り物めいた笑みを浮かべた。

 「後悔するのは自由だよ。どうする?」

 一人が押さえにかかり、もう一人が殴りかかろうとする。

 しかし、どちらも同じことだった。少年に触れようとしたところで、あの謎の「盾」が現われて、攻撃を防いでしまう。

 誰かが悲鳴をあげて逃げ出した。次々とそれに続く。

 「薄情者め」

 女もそう吐き捨てて逃げ出そうとしたが、少年は難無くその後を追って、襟を掴んで引きずり倒した。その形良い胸の下辺りを、思いきり踏みつける。骨が鳴る音がする。女は苦しそうな声をあげたが、少年は構わずに口を開いた。

 「聞きたい事があるんだ。僕に似た人間を見たようだけれど、その人物は、僕より髪が短くて、高級そうな服を着ていて、頭にはハンティング帽、僕よりは目元がきつかったはずじゃないのかな」

 少年があげていく特徴に、女は一々大きく頷いた。頷く度に地面に後頭部をぶつけているが、そんな事は構わない様子だ。

 「じゃあ、その人をどこで見たのか、教えてくれるね」

 骨の鳴る音が、次第に大きくなっていく。女が金属のきしむような声で何事か叫ぶと、少年は満足な表情になり、置いていた足を離して、鋭く女のこめかみを蹴った。

 呆気なく昇天する女を放って、少年は再び、山林に入っていく。



 「隊長」

 そう呼ばれた人物は、視線だけを鋭くそちらに向けた。

 どこの国にも見られない軍服を折り目正しく身につけている、三十をいくらか越えているだろう女である。小柄な女だった。おそらく、百六十センチメートルほどの背丈だろう。しかし、彼らの中で、最も目を引くだろう人間もまた彼女であった。それは決して、年令による衰えを感じさせない美貌のためだけではない。

 蜂蜜色の縮れた髪を短く切り、紫の瞳は鋭い光を放っている。彫りは深く、化粧っ気はない。いや、むしろ、化粧は彼女の長所を隠すだけだろう。それに、西欧人にしては珍しく、彼女の肌はなめらかなものだった。

 「どうした」

 抑揚はないが、オペラ歌手でもめったにいないようなよどみないアルトで尋ねる。

 「総員、指定の配置に着きました」

 「そうか。分かった」

 彼女は懐から無線を取り出すと、歯切れの良い調子で告げた。

 「こちら“アテナ”、各隊員に告ぐ。作戦内容に変更はなし。以降の行動は、予定通り行うものとする」

 おもむろに腕時計を見る。その秒針が、十二時の所を指した。

 「作戦開始」

 無線を切って懐にしまった彼女の後に、十人の、屈強な人間が続いていく。



 サードインパクトの直接的な被害を免れた中に、戦略自衛隊の本部があった。セカンドインパクト以降にどう吸い上げた税金をどう使ったのか、広大な土地に最新の設備が詰め込まれた、ケンスケのようなミリタリーマニアならずとも見学に行きたくなるような所だ。

 広大な面積をもっている筈である。セカンドインパクトによって壊滅した、旧東京に設置されているのだ。ただし、土地の買い取りはゼーレの息のかかった企業によって行われ、ほぼ無償で政府に寄付されている。まあ、日本政府がゼーレのあやつり人形となっているのは、その恩に始まったことではない。

 災害から一月もすると、支部の方はともかく、本部においては、大まかなとはいえ、元の人員の五分の一にも満たないものを整理し直していた。

 一月も経っているのならば、そんな整理など遥か昔に済んでいるのではないのか。そう首を傾げた読者諸兄もおありだろう。考えても頂きたい。本部にいるのは、大半が官僚クラスの、つまりは司令官達ばかりである。彼らはこの一月の間、整理後の自分達の席次を決めるのに、躍起になっていたのだ。もちろん、真面目に部下の管理をしていた司令官もいれば、これ幸いと訓練を怠けた隊員もいるだろうが、まあ、人間一人一人の性根が、一度や二度のインパクトで一気に変わるはずもないのである。ましてや、一つの組織、一つの国となると。

 とはいえ、戦略自衛隊が、決して軟弱な軍隊でない事は、先のネルフ侵攻でお分かりのことと思う。

 それが、この時だけは翻弄されるしかなかった。

 「国連軍特殊部隊、『アテナ』の者です。先月の大災害における戦略自衛隊介入の容疑のため、ただ今より本部を強制調査させていただきます。なお、降伏する意思を持たない者に対しては、戦闘員非戦闘員に関わらず、生命の保証はいたしかねますのでご了承ください」

 正門の前にいた者に、敬礼とともに現われた男がそう言うと、たちまちに数え切れぬほどの武装した人間が門から入っていく。門にいた隊員は、それを止めようと銃に手を延ばしたところを、彼らの忠告通りの運命をたどった。

 やがて、強制捜査の協力を要請する旨のアナウンスが、空気を切り裂くように、繰り返し流される。

 自衛隊の人間は、抵抗の意思を見せなかった。アナウンスが聞こえていたし、抵抗する旨の命令は出されず、それ以前に、どこからともなく現われて自分達を取り囲んだ人間が、たちまちに“協力”を要請し、煙のように消えてしまうのである。武器を構える暇もなかった。なかには錯乱して傷を負わされたり、武装解除されたり、あるいは神の御元へ送られる者もいたが、それはかなりの少数であって、大抵は呆然としている。訓練し続けてきた、第一線の人間が、である。

 一方、建物の中では、外よりも死傷者は出なかった。しかし、もっと醜い争いが行われていた。「誰が誰を守るか」という言い争う者。戦闘員を盾にして逃げようとする者。降伏しようとして「裏切り者」と味方に射殺される者。そういう者達に限って、足元を狙って何発か撃ち、「武器を捨てて降伏しろ」と言うと、あっさりと降伏してきたりする。

 さて、サードインパクトから生き残った中で、戦略自衛隊では一番地位の高かった男がいた。彼は今、次々と報告される惨状を前に、「責任は私が取る。徹底的に抗戦せよ」とも「総員、直ちに降伏せよ」とも命令せず、逃げ出そうとしていた。自分に優しくて結構なことである。というより、そう命令できるだけの決断力が最初からあったのなら、現在の最高責任者の任を引き受けただろうし、そうすればここまでの惨状にはならなかったかもしれない。いや、これは彼だけに言えたことではない。

 しかし、非戦闘員に変装して生き延びようとする彼の目論見は呆気なく四散した。彼の変装を見破った味方の手によって、彼は敵方の総大将の元へ、引きずられていったのである。

 中将は目の前にいる女の美貌に見とれていて、まさか彼女がこの惨事を招いたのだとは思わず、(コンパニオンがどうしてこんなところにいるんだ)と考えていた。虚しく散っていった隊員達が知ったら、泣くかもしれない。

 女は柔らかな物腰で、しかし目は彼を物でも見ているかのように見下ろしたまま、何事か言った。女の脇にいた男がそれを受けて、英語で自分達の身分を述べると、中将は腰を抜かした。

 国連軍に特殊部隊、などというものはない。その実体は、ゼーレの委員会直轄の組織である。

 その直轄組織の名を「チルドレン」という。

 彼等はギリシャ・ローマ神話の神々の名を付けられた部に分けられており、その部の数は愚か、人数、活動内容に至るまで、ゼーレの中枢のものでないと内部情報は一切分からない、といわれている。全てが謎に包まれているのだ。

 ただ、その部を束ねる者には、その部の名と同じ名を名乗っている、といわれている。ならば、目の前の女が“アテナ”の筈である。

 「我々は君達からあるものを返却してもらう権利がある。早急に返却していただきたい」

 「返却?・・・何のことだ」

 男の言葉が通訳された途端、女のもう片側にいた男の手元がぶれた。気が着いたとき、中将の周りの床には黒い穴がいくつか開いた。

 「何なら、今から君を連れて松代まで行ってもいい。総理は、君の勇敢な態度をさぞ喜ばれることだろう」

 まだ煙が出ている銃を持った男の口元に、嫌に品のいい笑みが浮かんだのと、通訳する男の淡々とした日本語、何より女が先程から微動だにせずに自分を見下ろしている事が、中将の恐怖をなおさら煽った。

 「しかし、私の一存では」

 弾の一つが、彼の肩をかすめた。ただし、それは階級章を弾き飛ばしたにとどまった。

 「次は君の肩を狙う。次は足、次は手だ」

 中将はそこで観念して、いくつかの命令を部下に伝えた。部下は書類を持ってきたり、他の者に命令を伝達しに行ったりする。

 「協力、感謝する」

 アテナが撤収の旨を伝えたらしく、次々と部屋から「チルドレン」の人間が消えていく。

 最後に、アテナとその両脇にいた二人が去ろうとしていた。

 「何がアテナだ。てめえ勝手に神を気取りやがって」

 中将が彼らの背に小声で吐き捨てた時、アテナが振り返った。その口元に笑みが浮かんでいる。その容貌にふさわしい、寸分の無駄もない笑みを。

 「貴重な意見だ、よおく覚えておこう」

 中将は顔面が青くなった。アテナが口にしたのは日本語だったのだ。



 一同は、次の目的地へのヘリの中にいた。もちろん、軍用ヘリである。

 部下の一人が、手を組み、浮かぬ顔でうつむいているアテナに声をかけた。

 「いかがなさいました」

 「つまらない」

 アテナは一言、つぶやいた。

 「は・・・?」

 「つまらない、と言ったのだ。作戦そのものは満足している。しかし、俗物に触れるのは、な」

 「心中、お察しいたします」

 「見え透いた嘘はよせ」

 「は」

 そこでアテナは部下への伝染を気にしてか、先程までの鬱々とした雰囲気を消して、改めて部下に尋ねた。

 「“彼女”からの報告はどうだ」

 「すでに目標に接触しております」

 さすがに返答が早い。

 「ただ、頃合をはかるのが難しい、との事で、後二、三日はかかるとの報告です」

 「二日だ。そう伝えろ」

 「は」

 命令を延べたアテナの様子は、明らかに先ほどとはうって変わって、明るくさえなっている。

 「やはり、気になりますか」

 「何がだ」

 睨まれて、慌てて礼をして立ち去る部下の様子を見ながら、アテナは口元に、微かに笑みを帯びている。



 夜更け。

 何とか使える家を、人々は一家族ごとに分担していた。トウジの家も、三人家族ということで、さほど生活に支障がない程度の広さをもつ、素人目ではあるものの、見たところサードインパクトの衝撃にも壁に傷一つ入っていない、マンションの一室を拝借していた。

 トウジは父と妹とで、川の字になって寝ていた。妹は傷が癒えたとはいえ、時々夢にうならされているし、トウジ自身も、義足があるとはいえ片足を失っている身である。地震でも起きた時、三人ばらばらの部屋で寝ていると、例え同じ家の中でも、案外連絡が取りにくいものだ。

 しばらく熟睡していたトウジだったが、ふと、目を覚ました。

 (暑い・・・)

 闇夜に、虫の音が騒々しい。それが更に、トウジには暑さを増幅させているように感じられる。

 すぐに寝付けるはずなのに、寝付けなかった。

 「くそ」

 身を起こす。懐中電灯の光だけで、どうにか義足をつける。

 「どうした」

 物音に、彼の父が起きたらしい。熟睡している娘を起こさないように、小声で尋ねてくる。

 「ちょっと、風に当たってくるわ」

 「おい、あんまり向こうへ行かんとけ。転んだら洒落にならん」

 「心配ない。玄関のとこまでや」

 「ならええがなあ」

 (おとんは妙に鋭い)

 おそらく、死んだ母の代わりを務めようとする余りに、母の直感まで身につけてしまったのではないか。ひどく非科学的な考えで、トウジはそう考える。

 玄関から外に出て、転ばないように、街外れの公園まで上っていく。

 公園には人はいなかった。ただ、闇夜の中に、古ぼけたシーソーとジャングルジムが、幻のように浮かんでいる。

 ベンチに大仰に腰掛けると、彼は頭上の暗雲うごめく空に向かってぼやいた。

 「・・・呼び出しといて、人を待たすんかいな。まったく」

 「待たせてなどいない」

 突然、頭上から声がかかったので、危うくひっくり返るところだった。

 「おっと、危ない」

 その頭を支えて、元どおりに座らせたのは、先日からここに来ている藤井エリナだった。

 「・・・すまんな」

 「いや。こんな事で恩にきせようなどとは思わない」

 「そうか」

 トウジはやや不機嫌な様子で、自分の横に座ってきたエリナに目を向けていた。

 「で。あの話、本当なんか」

 「ああ」

 あっさりと頷くエリナに、トウジは眉を寄せた。

 「なんか、信じられんな。ほんまにわしでええんか」

 「君以外の誰が、適任者だというんだ」

 「・・・そやな」

 トウジはそう言って、深々吐息をついた。

 「ほんまに、おとんと妹の面倒、見てくれるんか」

 「ああ」

 「・・・分かった。引き受けたる。でも、もし条件に合わんかったらいつでもやめれるよう、あんたの方で取り合ってくれ」

 「条件とは」

 「わしと、おとんと妹、それとわしの知っとる人間の安全や」

 「後で、その旨の契約書を見せる」

 「そうか」

 俯いたまま、エリナの方を見ようともしない。

 「なあ。一人にさせてくれんか」

 「分かった」

 エリナが公園を出ていき、足音が消えると、辺りに聞こえるのは彼の息のみになった。

 (どうして、こないな事になったんや)

 藤井エリナは彼らが住むこの地を訪れて以来、「しばらくここに滞在させて欲しい」と頼み、そしてたやすく周りに溶け込んだ。

 最初に出会ったという関係上、彼女に一番よく接していたのはケンスケだった。トウジは最初、エリナの卓抜した容貌に見とれたこともあったが、すぐに気にも止めなくなっていた。勿論、無視するというわけでもなく、ほどほどに接していたつもりだ。その内、ここを出ていくのだろう、そうすれば自分達とは縁のない人間になるのだろう。そう思っていた。

 「話があるんだ」

 一昨日、そう言ってエリナが二人きりになって告げたことは、トウジにとってはあまりにものことであった。

 自分の所属している組織に来て、エヴァンゲリオンに再び乗って欲しい、というのだ。

 彼女の話を要約するとこうである。

 エリナは、ネルフの顧問機関であるゼーレに所属している人間である。

 第三新東京市がサードインパクトで海に没した時、ゼーレはネルフに使われたあらゆる技術、特にネルフ最大の兵器であるエヴァンゲリオンが第三者の手によって暴かれる事を彼らは何よりも恐れた。エヴァに関する技術が公開され、戦争に利用されるようなことはあってはならない。

 即座に海に没した第三新東京市の調査と、市内外を問わず、エヴァに関わった人間の捜索が開始された。

 エリナもその一人で、かつてフォースチルドレンとして、エヴァに搭乗していたトウジを探していたのだ。

 トウジはその話を最初に聞いた時、「そんなあほな話があるか」と怒鳴りつけた。

 第三新東京市が海に没したという事は、そこに残されていた人間も同様であり、今更第三新東京市を海水ごとさらって調査したところで、発見されるのは、かつて人間であった物体のなれの果てのみであろう。

 そう主張したトウジに対して、眉一つ動かさずに、エリナは淡々と説得を続けた。

 「海に没した、とは言ったが、そこの市民の死亡が確認された、とは言っていない」

 「言うたも同じじゃ」

 「違うな。第三新東京市は、未知の生物である使徒との戦闘に備えて、ありとあらゆる災害から身を守れるように設計されている。水中に没した場合の措置が施されていてもおかしくはない」

 「・・・ほんまか」

 「第三新東京市の設計書は表に出なかったため、全貌を知っているのはわずかしかいない。ネルフの司令と副司令、後は設計した人間ぐらいだろう。だから断言はできない」

 「あんたは、わしを喜ばせたいんか、怒らせたいんか、どっちなんや!?」

 「ぼくは事実を述べているだけで、君の感情をどうする気もない。ただ一つ言えることがある」

 「なんや」

 「ぼくのいる組織は、君を人間として扱ってあげられる。他の所へ行ったら、実験動物扱いされる恐れもある」

 「・・・でも、わしは化けもんに体を乗っ取られて、こんな体になってもうたし」

 「乗れる乗れないは関係ないんだ。君がエヴァに乗っていた、というだけで、君を調べたがる輩はごまんといる。どうして君がオーナインシステムの壁を乗り越える事が出来たのか。彼らの知りたいことはそれだけであって、君個人の感情などその頭の中には全くない」

 「んな事を言うたかて、あんたのとこがそいつらとは違う保障なんて、どこにもない」

 「確かに」

 「それについては、どう思うとるんや」

 「君の判断に任せる」

 「はあ?」

 「ぼくの言うことが信じられないのなら君はそう言えばいいし、逆の場合も同じ事だ」

 「つまり、組織でなく、あんたを信用せい、という訳か」

 「そう。ただし、こういう交渉で、断ると僕に対して悪いから引き受ける、などという情を出すのはよくない。冷静に判断してくれ」

 「けど、あんたはわしを説得しなければならんのやろう?」

 「ぼくはせいぜい、説得ぐらいしっかりやれ、と怒鳴られる程度だ。君のように、命に関わる状況ではない」

 「そうか」

 結果、明後日まで考えさせてくれ、といったのである。

 本当は、答えはもう決めていた。だが、何かがひっかかるのである。

 (こうすれば、みんな助かる。これでいい。これでいいんや)

 そう、自分に言い聞かせてみたものの、何か、虚しかった。

 草を踏む音がする。

 「・・・鈴原?」

 闇に、白い顔が浮き上がった。ヒカリだった。



 続く



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