EVE−repeat itself− vol.2

vol.2 enigmatic




>Marina

 「失礼します」

 流暢な日本語と共に現れたのは、三十前後の女性だった。肌は綺麗な小麦色で、瞳と同じ明るい茶の毛は短く切り揃えられ、髪と同じ色のスーツがよく似合っていた。全体的に、デスクワークを中心に活動している知的美人、といったところ。

 「ようこそ、いらっしゃいました」

 本部長は立ち上がると、あたしと中継君を手で示した。

 「特別捜査官の、法条まりな君と中継裕輔君です」

 「法条です」

 「中継です」

 「初めまして。グロリア・ファースティン、といいます」

 グロリア、という名前からして、おそらくは外国の人間なのだろう。どこの国の人間なのかは、本部長の話から、大体予想はついている。

 あたしたちはソファーに座った。グロリアさんの向かいにあたしが、その隣に中継君が、本部長は自分の席に戻る。グロリアさんは線の綺麗な足を揃え、長すぎるために横に倒した(念の為、私も足を横に倒している)。

 「まず、私の身分を名乗らせて下さい。エルディア国の大使を勤めております」

 あたしはポーカーフェイスに徹していたけれど、内心ではかなり驚いていた。

 実は、あたしが裏方に回ったきっかけとなった事件は、前エルディア大使からの依頼による仕事がそもそもの始まりだったのだ。


 ここで、その事件について、少し話しておいたた方がいいと思う。

 今から半年前。エルディア大使官、ロス=御堂から、彼の娘である高校生、御堂真弥子の警護を頼まれたあたしは、彼女の周りに次から次へと起こる厄介事から彼女を守っていく内に、この任務の裏に隠された真相を知った。

 御堂真弥子、・・・真弥子ちゃんは、今は亡きエルディア前国王の意志を、現国王のクローンに封じ込め、さらにはやはり亡きエルディア前首相の記憶まで詰め込んで、御堂達がエルディア国を現国王や前首相から奪うために造った、一歳ばかりの人造人間だったのだ。

 そして、真弥子ちゃん自身の意志とは関係なく現れる前国王の意志は、暗殺者として次々と犯罪を繰り返していた。

 その真相を、父として慕っていたロス=御堂から告げられた真弥子ちゃんは、自分の意志で彼を殺してしまい、そして沈む船の中で、あたしや現国王、そしてもう一人の人間を救うために、いつ目覚めるか分からない眠りに入っていった。

 真弥子ちゃんは、あたしの友人だった。短い日数の中で確かにそう思っていたし、彼女にもそう言った。そして、彼女を守り通そう、そう思っていたのに、・・・守れなかった。逆に彼女に助けられて、こうしてのうのうと生きている。一方の彼女は、今、エルディアの王宮で眠りについている。

 もちろん、いつか彼女が目覚める、そう信じてはいる。けれど、自分のあまりの力の無さ、不甲斐無さを感じずにはいられなかった。

 彼女のことだけではない。この事件は、あたしの仕事の暗い面をまざまざと見せつけ、結果、仕事そのものを、もう下りようかとまで考えていた。そして、本部長の説得により、それを留まった、という訳である。


 「ある人物を警護していただきたいのです」

 グロリアさんは鞄から写真を取り出した。受け取る。普通の写真の引き伸ばしたのだろう、ひどく移りの粗い写真に、二十代半ばほどの、ボサボサの髪を長く伸ばした、なかなかのいい男が写っている。

 「名前は天城小次郎、というそうです。国籍は日本、職業は・・・」

 それはたぶん、あたしのほうが良く知っていた。

 天城小次郎は私立探偵で、あたしの見識ではかなり切れる人物(ま、ついた師匠が良かったからでもあるでしょうね)。実は、あたしと同様、半年前の事件に関わった男で、真弥子ちゃんに助けてもらった三人目の人間。あれっきり会っていないが、共通の知人である桂木弥生から聞いた話では、変わりないみたいだ。

 「この人物が、何者かに狙われている可能性があるのです」

 「と、いいますと」

 「ご存知とは思いますが、エルディア本国では半年前、現在の国王陛下が即位なさいました。当時の情勢から、即位の儀は船舶上で執り行われる事となり、その船の出発先は日本から、ということになりました。陛下はほとんどお忍びも同然で、密かに日本に入国なさったのです。

 「ところがというべきかやはりというべきか、無事にしかるべき者と合流するはずが、手違いにより陛下が行方知れずとなってしまったのです。その折、この天城氏を初めとする方々が陛下を保護なさいました。そして、無事即位の儀が執り行われたのです」

 その辺の事情は私のほうが良く知っていることは、前も述べた通り。けれど、今は黙っているべき時だ。

 「さて、今から一週間前のことです。本国の王宮の庭に、豚の死骸が投げ込まれる、という騒ぎがありました。それだけならば悪質な悪戯として、一応は終わるのですが、その体内から紙切れが発見され、それに、偽王は神の罰を受けよ、極東の友に災いあれ、と書かれていたそうです。

 「本来ならば陛下には内密に処分されるはずだったその紙が、運悪く陛下のお目に触れてしまい、かなり動揺なさったそうです。そこで、念のためと万が一のため、彼に護衛をつける事にしたのです。

 「が、民間人に、何人もSPを、しかもエルディアの者をつけたりすると、かなり目立ちます。特に、この国では」

 「そうでしょうね」

 「そこで、こちらにお願いをしたのです。そこは、私の地位の特権を使用いたしました」

 そう。確か、ロス=御堂も、同じ様な事を言っていたっけ。

 仕事内容も似通っている。また、エルディア大使から頼まれた、護衛の仕事。見たところ、あまり大した仕事じゃなさそうなところも同じ。・・・

 「期間は、とりあえず一月、お願いします。それからは状況を判断して、また決めていきたいと思うのですが、・・・何か、質問はございませんか?」

 グロリアさんの言葉に、あたしはとりあえず、中継君に顔を向けた。

 「中継君、何か聞きたいことはない?」

 「え、僕ですか!?」

 まさか、自分にお鉢が回ってくるとは思いも寄らなかったようだ。目をぱちくりさせていたが、やがて、学級委員長が担任の先生に、明日の学級の予定を聞きだそうとしているかのような、生真面目な表情でグロリアさんに向き直った。

 「まず、そちらの国王と、この天城氏の関係は、どなたでもご存知なのでしょうか」

 「いいえ。表向きは、彼の探偵事務所とは別の探偵事務所が、陛下を保護なさった、ということになっておりますので」

 「でしたら、その探偵事務所の人間が狙われる可能性は、・・・?」

 「確かに、無きにしもあらず、です。しかし、陛下は天城氏の護衛のみを要請なさったので」

 「最悪な場合、もう一方は見殺し、ですか」

 「そうなりますね」

 お互いの言葉に、一片の感情も入っていないところに、あたしは舌を巻いた。エルディアの大使だからして、グロリアさんはポーカーフェイスは手馴れたものだろうけれど、この青年・・・。

 「分かりました。ところで、もし何者かに狙われるとすれば、その人間、団体等について、心当たりはありますか」

 「そうですね」

 グロリアさんはうつむいて、口元に手を当てていた。

 「やはり、陛下ほどの方になると、心当たりがありすぎます」

 「そうですか」

 大きく頷き、こちらに顔を向けたため、てっきりこれで終わりかと思いきや、はたとグロリアさんに顔を向け戻した。

 「そういえば、陛下にはその後、お変わりは・・・?」

 「陛下の御身に、何らかの被害が及んだ、という情報は、私の元には、いまのところは入っておりません」

 グロリアさんの、最後までポーカーフェイスに徹した様子に対するかのように、中継君は笑みを浮かべた。ただし、先程あたしに挨拶したときの笑みとはまったく違う、口元を上げ、目もかすかに笑っているだけの、天使とは程遠い笑みだった。

 「分かりました。ありがとうございます。私からは以上です」

 笑みを消し、今度こそ、あたしのほうに目礼する。あたしは軽く頷いた。

 「それでは、早速取りかからせていただきます」

 グロリアさんは、そこで初めて、ほっとしたような微笑を浮かべると、「よろしくお願いします」と、かすかに、花のような匂いを残して去っていった。


 「どうだね」

 軽やかな足音が消えたあと、本部長が尋ねてきた。あたしは悪戯っぽく笑って見せる。

 「それは、中継君にまず、聞きましょ。どうだった?」

 中継君は、眉根をひそめ、手を顎に当てていた。なんだか、子供が無理に大人の真似をしているような愛らしさだ(・・・大人が愛らしいのも問題があるかも。いや、問題ね)。

 「そうですねえ・・・」

 そこで言葉を一旦切ると、真剣な表情でこちらを向き、そして口を開いた。

 「僕の好みとしては、肌の色も黒すぎるし、少し細すぎますね」

 本部長とあたしは、一斉に転んだ。

 「君の好みなんて聞いてない!」

 「そうですか?僕という人間を知っていただくいい機会だと思ったのですが。あ、法条先輩は別格ですから。とても僕のような人間に推し量れる方でないことは一目で分かります」

 「じゃあ、あたしが今、一番、何を知りたいのかも、一目で分かるわよ、ね?」

 拳を震わせながら尋ねると、中継君は笑みを、ただし天使のようなそれを見せつつ、「はい」と答える。

 「さすがに一国の大使ともなると、簡単に本音を語ってくれませんね」

 「簡単に本音を語らないから、大使なのよ」

 「なるほど。立ち居振舞いもなかなかだし、着ているものの品もいい。香水も、ちょっと嗅いだだけでは目立たない微香性のものですが、その実、後味のよいものをつけている。つまり、一見目立ちませんが、後の記憶には強い印象を残すよう、気が配られています。全神経が仕事に注がれている感がありますね。さすがに、あの年で一国の大使を勤めているだけのことはありますよ」

 堂々とした語り口だ。どんな人間でも、彼がこうした語りに慣れていることに気づくだろう。

 「うん。それで?」

 「彼女のことについては置いておきます。次に、依頼の事なのですが、その前に、エルディアについての確認からさせてください」

 「どうぞ」

 「エルディア共和国はアラビア半島の南西部に位置する共和制の多民族国家ですが、その実体は国王が存在する君主共和制で、首相その他の役職は国王が任命することになっており、条約の締結にのみ議会に権限があります。その主な産業は鉱物資源と観光。以前は閉鎖的な面が多く見られましたが、昨年、前国王が病死したのをきっかけとして、前首相を中心とした改革が起こり、国連に加盟し、他国との国交も積極的に行われ、西洋文化を取り入れるようになっていき、民主共和制への移行が進められていきました。反面、保守派からの、改革に対する反発は強く、更なるクーデターの動きも考えられていましたが、現国王の即位に伴い、反発の動きも急速に弱まっています。・・・こんなところでしょうか」

 「そうね。それで?」

 「これはおかしな依頼ですよ。どうして、国家元首を狙うような人間が、遠方の島国の、たかがといっては何ですが、一介の私立探偵などを狙うんです?依頼そのものに裏がある、とは思えませんか。まず、・・・」

 「中継君!」

 あたしは彼の言葉をさえぎった。思わず、目をしばたかせている。あたしはその目を、できるだけ冷たい目で見た。

 「あのね、この仕事は依頼人との信頼関係が第一よ。依頼そのものを疑うことはよくないわ。確かに依頼人に裏切られることもまれにあるけれど、依頼人を疑うことは真っ先に行うことではないわ。怪しい依頼を上層部が請け負うはずがないしね。何より、思考というものは本人の人格がそのまま現れるの。精錬潔白を一生通せ、とまでは言わない。けれど、下手をしたらあっという間に人間不信でノイローゼよ。冗談じゃなく、ね。いい?」

 こうして長々と述べた理由は、もちろん告げておいたことそのものがいいたかった事もあるけれど、実はこの部屋、上層部に盗聴されているだけでなく、モニターまで常に設置されているのだ。いきなり依頼を疑うような発言をさせてはまずい。

 「はい」と、中継君は見る間に肩を落とした。落胆した様子は、見ている人間にちょっぴり、いじめ甲斐を感じさせてしまう。・・・あたしって、サディストの気があるのかしら?

 「じゃ、質問は?」

 いつもの作業、細かいことを聞いていく。あたしは警視待遇、中継君は警部補待遇で、万が一の身分は大臣が保証する。報告はそれぞれ、毎日一回、口頭で行う事。そして、

 「銃の携帯は許可する」

 「やたっ!」

 あたしは飛び上がらんばかりに喜んだ。何だかんだ言っても、我が愛銃ベレッタM1919、イクイクとの再会はうれしい。早速、本部長から受け取った。

 「じゃ、出かけるけれど、先にビルを出ていてくれない?本部長に話があるから」

 「分かりました」

 やはり本部長から拳銃を受け取った中継君は、折り目正しく出ていった。ちゃんと出ていったのを確かめると、本部長に向き直る。

 「どうだい?新人は」

 「とうとう、あたしも新人を鍛える年になってしまったのね」

 つい、しみじみと空を眺めてしまった。

 「そりゃそうだよ。新人である年はせいぜい一年かそこらだけれど、新人でない年はその数十倍はあるんだから。これからはまりな君も、山と新人を鍛えることになるんだろうね」

 「そっか。・・・」

 あたしが今の仕事をすっと続けていくかは分からない。けれど、何らかの世界にいる限り、ずっと新人を迎えることになる。かつての自分の分身を。

 「ところで、中継君だが」

 「そうね。あたしの好みとしては、若すぎるわね」

 本部長は、こめかみに手を当てた。

 「・・・まりな君、中継君に文句を言えんぞ」

 「だって、いくら美形といっても、ね。あたし、どっちかを取れ、と言われたら、迷わずに本部長を選ぶわよ」

 本部長はたっぷり五秒、あたしと見つめ合ったが、咳をわざとらしくすると、

 「で、実際のところ、どうなんだね」

 あたしはちょっと、息を吐いた。

 「と言われてもね。相当に神経がふてぶてしいのが分かった程度よ。使い物になるかどうか分かるのはこれからね。・・・ところで彼、あのポーカーフェイスをどこで身につけたのよ」

 ちょっと脅し気味にした質問に対して、本部長は肩をすくめるだけだった。

 「本人に聞いてみればどうだい?ま、実は小林少年だったんです、ぐらいは言いかねないが」

 「実は新宿少年探偵団だったんです、かもよ。後、エルディアについて、あんなに詳しいのは?」

 「何、まりな君が来る前に、僕が簡単に教えていたのさ。もっとも、彼も勉強熱心だからね、僕が教えたことはほとんど知っていたよ。さすがに研修中の成績、オールAでうちに入ってきただけはある」

 「オールA!?そんな成績なのに、よくうちに入ってきたわね」

 「おいおい、ひどい言い草だな。これでもうちは上層部でも評判は良いんだが」

 「にしては、相変わらずビルの間借りよね」

 「それを言わないでくれよ・・・」

 ちなみに今いるビルは、以前いた田中ビルではなく、山田ビルというところ。・・・やっぱり、平凡な名前だこと。

 「どちらにしろ、うまく導いてやってくれたまえ。まあ、まりな君だったら大丈夫だろう」

 「任せて頂戴。あたしのすべてを伝授して見せるわ」

 「・・・と、いうことは、末はまりな君がもう一人誕生することになるのか。・・・複雑だな」

 あたしは黙って、本部長のひげを引っこ抜いた。


 ビルを出ると、入り口で中継君が待っていた。

 「お待たせ。じゃ、行きましょ」

 「え。でも、天城氏の住所を知りませんよ?」

 「あたしは知っているの。歩きがてら、その辺りについて教えてあげるわ」

 あたしは伸びをしながら外に出た。やっぱり、イクイクを持っていると、空の青さまで違って見える。おお、服の重みの心地よさよ。

 「ううん。やっぱり、イクイクといっしょの仕事は嬉しいなっと」

 「イクイク?何ですか、それは」

 首を傾げた中継君に見えるように、あたしは服の、銃で膨らんだあたりを指差した。

 「これの事よ。中継君も自分のに名前、つけてみたら?愛着、沸くかもよ」

 「考えておきます」

 内閣調査室のあるビルから、天城小次郎のいる天城探偵事務所までは少し歩く。その間、あたしは半年前、彼がエルディアの王位継承騒ぎにどのように関わったのか、かいつまんで話した。といっても、どのように現エルディア国王を保護し、何度も命を助けた経緯だけ話す。

 「なるほど、エルディア国王にとって、天城氏は命の恩人であり、友人でもあったんですか」

 「だから、もし天城小次郎に何かあった場合、エルディアで何が一番被害を受けるといったら、国王の精神でしょうね。いいえ、彼を知っていることをちらつかされた時点で、被害は甚大かもしれない」

 「でも、一国の国王ともあろう人間が、助けられただけで、その人間をいつまでも覚えているものなんでしょうか?王族なら、その程度のことは当然、ぐらいに思っているのではないのでしょうか」

 「帝王学が完璧なら、世の中、王族の間で争いごとなんて一つも無かったでしょうよ」

 「確かに。でも、依頼そのものを疑うことは置いておくとしても、やっぱりおかしな依頼ですよね。天城氏を狙う者の動機は、国王本人への、私的な怨恨でしょうか」

 「さあ。何も起きてくれないことに、越したことは無いわ」

 そして、彼と弥生が無事でいてくれることは、あたしの願いでもある。

 ・・・天城探偵事務所のある、海沿いの倉庫外に入った時、前方から、二人の人間が、こちらに向かっているのを見つけた。よく見てみると、そのうちの一人が、天城小次郎だった。相変わらずの髪型、相変わらずの服装。

 あたしが呼び止めると、彼は立ち止まり、そして、

 信じがたいものを見たような目で、こちらを見た。




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